フィリピン1990年代の私の仕事 から新たなビジネスを考える。その2

1990年代はフィリピンが躍動していた時、日本の製造業がフィリピンに押し寄せて来た時、しかし2002年には撤退の嵐。今や中国撤退の嵐の中で、フィリピンは撤退先として選ばれない。フィリピン政府も動かない。という事はフィリピンに復活のチャンスがあるのか? 私はこの時代は、自分の本業も1996年に立ち上げたが、その他様々なビジネスを立ち上げたが、それはその1でも述べている。ここではその1でスタートしたビジネスの基本と成ったビジネス。もし貴方がフィリピンでビジネスを始めようと思い、将来は多くのフィリピン人を雇用すると考えた場合、何からスタートするか? 私は人材派遣業務からスタートした。今は労働省も人材派遣業務の認可を与えるのに、資本金1000万円(5Mペソ)が必要で、既存であってもそこまでの資本増加を求めているので、かなり振るいに掛けられたが、当時は資本金10万円(当時3万ペソ)で良かったので簡単に免許取得し、最初に手掛けたのが、日本からの工場進出で、日本人が増えていたし、日本人学校の生徒も800名―900名と増えていた時代(現在は250名)、なので日本人向けメイドと運転手の派遣を専門にスタートした。当時は進出会社も裕福で、家族で来られるとご主人用の車と奥さん用車両が会社から支給されるのが当然の様だったし、何もわからない奥様のサポート役としてメイドは欠かせないもので有った。そこでうちでは、その派遣するメイドの教育からスタートした。教育と言ってもたった3日のコースだが、それでも最後には着物の簡単な着付けまで教えた。その為ではないのだが、日本レストランも遣っていたので、日本料理の基礎も教えていた。

まあこれが私がフィリピン人を理解する第一歩と成った。しかし当時は理解力も早く、誠実に仕事をしてくれた。まあ今は無理だね。3日坊主で忘れる、遣らない。反抗する。。。だからビジネスは自分ではやりたくない。(本音)、今でも私の古参マネージャーは当時の教え子、その後、泣いても何しても、強硬に経理とコンピュータを教え込んだものが、今でも25年以上居るので、安心して任している。しかし、思うに、パッパラパーのフィリピンの服を着ている子に、着物の着方を教えるのは、良い勉強に成るように思える。途中でダメな奴は落とせばよい。今のフィリピンのHR(人事担当教育を受けた者)なんかでは教えられないし管理も出来ない。彼女彼らは教えるも教わるも同じ穴のムジナ。やはりそこは日本人が頑張らなくては前に進まない。でも日本人もそこが弱いよね。うちのレストランでは3カ月に1度は試験をしていた。週に1度ミーチィングで教材を渡して、この試験を行う。ビジネスは「人」であり、「人」に終わる。AIでは無い。フィリピンでは良く聞くが、 うちのフィリピン嫁が連れて来たOXが等と言ってる内はビジネスは拡大しない。まずはフィリピン嫁を最初に経理が出来るまで鍛える事で有る。うちには1日であなたも会計士という、英語のマニュアルがある。そこで問題は英語が出来ないから、片言の日本語が出来ると言う奴では教えるのは難しい。何しろ疲れる(笑) 専門英語が訳せるタガログ語が無いのだから。。。フィリピンの教育もそこが問題。今はフィリピン国民の70%が英語が喋れない。どうやって専門知識が生まれるのか?笑だよね。でも当時は皆出来たんだよね。

Atsukuni Munetomo 棟朝淳州

フィリピンに来て32年。多くの教訓を得ました。この度そうした教訓を皆様の海外生活で少しでも何かのお役に立てばと思いこうしたサイトをオープンしました。

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