フィリピンの問題点

最近FBにフィリピン女性に対する絶望感というか、「何故こうなるの」という投稿が増えている。これは昔と違ってあり得る事だと分析する。勿論日本だって「何故」は有るのだから相対論としか言えないが、相して言える現実は以下の表から言える。

私が来た32年前、第一世代、いくら夜の女性でもピアノが弾けるとかの女性は多く居て、家の没落から仕方なく夜の商売に入ったという人も多かった。まあしかし貧困から当時のエルミタのゴーゴーバーのように体を売って手っ取り早いお金を稼ぐ人もいた。しかしこの時代の人は殆ど親の愛を受けて育っていた。それが、第二世代は海外の出稼ぎが多くなり、親の顔を見ず育っていく子供が増え、その上人口増加で学校教育が政府が無能で計画(増加)できず、学校が1日2部制になり、それでも1教室に80名を超す生徒を押し込め、教師は疲れ、自習教育や訳の解らない時間つぶしの授業が増え、高校生でも2ケタの掛け算も割り算も出来ない状況となった。その原因としては、国粋主義などと身の程を知らない論理で推し進めたタガログ語教育。しかしタガログ語で読める本も作らず、何が教育ぞ。 本を読める、読解力(地図を含め)ゼロの国民を作り上げた。

これが問題のスタートとなる。今、フィリピン人社会に進行する、異常な状態。男女が子供を作るが、その両親が子供の面倒を見ないという現実が横行している。結局、第一世代が子供の面倒を見るという変形社会が生まれ、こうした状況が第三世代へと移り変わっている。そして人口はまだ増加している。

世代に渡って貧乏で有れば有るほど、この第三世代人は、付き合うにしても雇うにしても難しい。前にも言ったが、イタリア料理店に行って、ここ何料理?うう、インド料理。インドは何処にあるの?イタリアは何処にあるの?さあ・・

お前はローマンカソリックなんだから、イタリアは知ってるだろう?さあ・・・

まあこうなるのだから、ものの善悪、礼節などは無いと言って良い。

可哀想と思い幾ら親切にしても、フィリピン社会で蔓延している近親相関などで、このクソ親父、私の体欲しさか。とうい解釈しか出来ないのが現状である、しかし、それこそ、この可哀想な現実で、そうとしか事を考えられない、見れないフィリピン社会をどう良く変えられるのか? 私には残念ながら、FBにこうした表面には無い現実を訴えて、皆さんにどうにかしてよ。と頼むだけで、私自身には答えは無い。😢 

32年前。フィリピンには製鉄所が幾つもあり、国営製鉄所、マルセロ製鉄所、ハシント製鉄所と当時のアジア諸国には無い状況で、コロンビアモーターはアジアで最初の自動車の国産化組立て工場があり、マツダのエンジンを乗せたアンフラを作っていた。そして英語、スペイン語。が堪能な国。ここに私の将来を託したのである。 ががが。。。また日本の工場群もアジアの生産ハブとして、続々と上陸していた。ががが。。。製鉄所は1998年まででほぼ壊滅。自動車生産も中止、その後解体され韓国企業へ。2002年、日本の工場群は他国へ逃げ散った。2013年フォードですら、折角作った大工場を捨て逃げ去った。そこで残ったのがトヨタとホンダの一部、フォード工場跡を使い始めた三菱、と時代が移る。しかしこの現象を見るに何が問題だったのだろうか?。 

勿論世界的な動きや価格変動もある。しかしそうでは無い。フィリピン政府の将来像を作れなかった無能さ、目先の現金による不透明性、数えれば限が無いが、言わば国策が無かったのである。故に2000年から2017年の今まで国民の給与水準は変わっていない。故に車は買えないから、アジア最低の20万台前後の新車販売台数で1工場がフルラインアップできる10万台に達しない。しかしそこで頑張っているのがトヨタで有り、これをもし達成できればフィリピンはトヨタに落ちる。

では銀行はどうであろうか。この状態を危惧し、7年前華僑集団の談合で4つの銀行を束ねて一躍トップになったBDO、SMグループを考えてみよう。中国投資が盛んであった頃は目向きもしなかったジャパンデスクが活発に日本の地方銀行や信用金庫を誘って提携銀行としている。それは日本からの投資の窓口として利用したいからだ。しかし地方銀行の人が驚く。98%の国民に銀行にお金を預ける金が無いのだから車産業のトヨタと同じ苦しみ。いくら大きくなっても国民に金がない。故に海外からの投資目当てとなる。その商品化として不動産があるが、まず国民に金がない。では誰に売るの?という問題点はそこにある。料理店と一緒で客が少ないから高く売れとなるが、今こうした新規物件はなんと13万ペソ(29万円)平米が販売価格。1坪に直したら43万ペソ日本円で約100万円の物件を売っているのである。馬鹿は中にはいるが、誰が坪100万円の物件買うのか?東京を買え、福岡なら半額で買える。という商品説明をしてること自体、銀行に将来はあるのかと思う。その上、BDOグループの中心部のSMモール、スーパー、その他の消費者小売だが、やはり国民に買う金がない事に起因して、1憶いる民に対して280店舗を展開するSMだが、売り上げ規模は日本の最も小さい都市デパート松屋の2店舗分に過ぎない。フィリピン国家のGDPが名古屋市程度なのだから仕方ない。インターネットの普及拡大もこの国民に金が無く、2%の人しか利用料を払えないという現実から、現状の酷いサービスしか出来ないのも納得がいく。

金融が全て海外からの投資で賄われ、製造生産が無く、1億の国民がほとんど輸入品で生きているこの国が浮き彫りになる。

ではこの国は、何か有事の際には、例えばIS問題の拡大などでは外資が引き、一気に金融、輸入、そして国民生活が破城することになる。

それに何度も言っているが、海外送金の大きな柱である中東は石油の世界的な消費減で海外労働者が必要と無くなり、もしフィリピン女性と結婚している日本人男性が今まで2万円のフィリピン送金額が、一気に6万円になったら、自分たちの生活は成り立たない。そしてBPOやコールセンターで潤う労働者やビルの賃貸収入はAIの発達で、その機能は失われる。

どうすれば良いのか? 答えは一つである。国民全体の所得を3倍にすることである。しかしそれには国策が必要で、最低でも15年の時間が必要である。

町工場の復活から大手工場誘致。小規模農家漁業から農協漁協の発展。。この国ではまだまだ遣ることが多いが、しかしそれは安易な不動産やレストランでは意味がない。

世界では年間1億の人間が増えている。しかし、それは将来夢のある、教育を受けられるものではない。1億人の貧乏人の山が増えている。しかし人間なので衣食に関しては確実にマーケットが1億人分増えることになる。それが1日1円使っても1億円が確実に1日の売上げ増となり、年間では365億円の増加となる。このインデックスは1日140円以下の収入しかない人口の割合を示すが、フィリピンは35%の人口がそれで、1日140円としても月額4千円で暮らす人口が3500万人となる。5人家族の長が働いていた場合の収入は月額2万円(都市部)から月額1万円(地方部)として6000万人強の家族がその中にあり、そこに海外出稼ぎ者300万人の仕送りとなるが、中近東その他の平均月収入が500ドル以下で有り、仕送り限度額はせいぜい2万円前後となる。ここら辺を考えると「絶対貧困」(食べるものや住まいに困る)はフィリピン全体で2000万人に達していると予想される。 また日本でも一億総中流と叫ばれていた時代は終焉を迎え、今や労働者の3人に1人は非正規雇用者で、終身雇用は保障されないどころか、賃金も正社員より低く抑えられ、福利厚生も限られる状況で、「相対的貧困」(全世帯の可処分所得を1人当たりに換算し、所得を低い順から並べ、中央値の半分に満たない人を指す)が、その割合は16.1%と、実に6人に1人が相対的貧困にあえいでいる状況だ。先進国クラブとされるOECD加盟国35ケ国で、最も相対的貧困率が低いアイスランドはその割合が4.6%に過ぎない。日本はお隣の韓国(14.6%)、財政危機に陥っているギリシャ(15.1%)も上回り、先進国でもイスラエル(18.6%)、アメリカ(17.2%)、トルコ(17.2%)などと並んだ高水準なのだから、フィリピンの事は言えないが、トランプ大統領がアメリカファーストと言って当選するのも解る。

前にもここで紹介した信長に対しての秀吉(サル)、しかし大学出の明智は裏切るがサルは裏切らない。

フィリピンの仕方ないビジネスの現実。28年前にスパルタ教育をした当時サル達は今立派な私の守護神で、フィリピンの下手な経理士より数字に強い。28年前、私はこうした人材育成には力を入れたが、何百人とその後来た、日本人を含め、総じて私を裏切っていった。勿論そうでなく未だに付き合っている人もいるが、数少ない。

しかしそうして育った守護神たちも50歳に近づき、フィリピン人、日本人なら働き盛りだが、どうも歳を取って安定を求めて来た。(笑)

しかし当時の人達はまだ教育があったが、今は。。BGCがあるタギグ市でどちらかと言えばうちの事務所の近くに住み、前にも言ったがお父さんはタクシードライバー、お母さんは主婦。公立高校を出て、3年間失業で、家に居て、たまに近所の家の手伝いをして、おこずかいを稼いでいた20歳。僕コンピューター出来ますと言ってFBだけ、エクセル?それ何?アメリカ大統領の名は?知りません。勿論日本の首相や日本がどこにあるかも知らない。英語も解らない。

しかしこれが今の90%のこの年代のフィリピン人である。多分400年前の秀吉と一緒。でもお母さんが居たからシャブや不良に成らなかったが、これで両親が居なかった場合、確実に悪の道に入る。まあ悪人じゃないから面倒を見ようと思い、先週からは土日も来させて勉強会。しかし近くても交通費は無いから日当を払ってこっちが教える。日当と言っても300円位なのだが。。。

でも本当に何も知らない。Way of Knowledge worker ドラッガーの知識労働者という言葉を借りて8年前に私が作ったの社員教育用のテキスト全5編で、1編が3時間ぐらいのコース。勿論こいつは1分以上長い文章など読んだことが無いので、10分毎の休憩(笑) しかし二日目はだいぶ慣れてきた。ここで言いたいのは 人は知ることで、現在の数倍速く物事を判断しえる能力が人間にはある。という実例と、人間は個人では限界があるが、その個人の周りを含めて動かすと、その効果は二乗倍数的に膨れ上がる。という例題で、特に日本とフィリピンの格差がどこから生じるのか?という例題が多く入っている。

こうした事をやりながら、今度買ううちの車のドライバー兼、料理の作り方、マナーその他と書類作成とを同時多発的に遣ってもらい、3年後には少しは使えるようになってほしいという考えで始めることにした。

万が一、途中で挫折し親父の後を次いでタクシードライバーでも、少しマシな接客が。。又は本人が言っていた料理の世界でもちょっとは役にたつかも知れないと思う親心。しかし本来の目的は一般的にフィリピン人が出来ないモルタイタスキング(複数の事を同時にこなす)を如何にこなすか? 日本のレストランは、如何にウエイトレスでも、料理人の手伝い、お店の掃除、食器洗い、そして売り上げ管理とすべてこなすし、その上に時間は守る。そして大切なお客様へのサービス精神と複数の事を同時にこなす。 やはりこれには知識が必要となる。Knowledge worker である。

でも3年か。。。。石の上にも3年。これは彼の忍耐ではない。私の忍耐だ!!

だからフィリピンでは商売がしたくない。

フィリピンでは人を車ではねて、はねた人が重傷なら、もう一度戻ってひき殺せという言葉が一般的に言われる。

これは保険制度の貧弱さに起因している。98%の国民が銀行口座も持てず、新車販売もアジアでは最悪。その背景には何度も言うが20年間国民の給与が上がっていない背景もある。

故に保険加入者が圧倒的に不足している。生保で言えばフィリピンに出てきたソニー生命、日本生命も既に10年前に撤退している。

これは任意の自動車保険の金額の例え。車両に対する補償30万ペソ(60万円)相手の車の補償 10万ペソ(20万円)対人補償10万ペソ(20万円)それで支払い金額はなんと1万2千ペソ(2万5千円)。これを基準に対人を100万円したら直ぐに5万円以上となる。 べらぼうに高いし、事故っても不親切。

それに以前オンドイ台風で多くの車両がマニラで水没した際には、3社の保険会社が倒産、支払い不能となった。

故にフィリピンでは事故にあって、相手の車も保険に入っているケースは3回の事故で1回入っていれば運が良かったとなる。 また道でひかれて死んでも、保険に入っていたとして補償は20万円しかないと思った方が良い。

その上最近多いバイクやトライシクルに至っては、ぶつけられ損になるだけだ。

また写真でも解るが、整備不良?いや何にも考えていないドラバ―のトラックでは、横を走っていればタイヤが外れ飛んでくる、コンテナをちゃんと止めてないのでコンテナが落ちてくる。コンクリートミキサー車のミキサーが外れて落ちてくる。バスの無謀運転。高速道路では政府に金がないのか、高速道路管理者がポッケなのか、高速道路の街路灯が点いていない真っ暗。しかしこうした整備不良でトラックのテールランプは3台1台は点いていない。突っ込みそうに成ったこともある。しかしこうした危ない状況、しかし補償が少ないという現実は、タクシーやウーバー、グラブ、ジプニー、トライシクルその他に乗っていても同じある。

また日本のように補償が1億円となったら、貧困から家族の為にあたり屋が続出し、パニック状態になるので補償も上げられないのも現実である。

保険が保険でないフィリピンの悲しい一面でもある。

30年のマニラ生活では正味10年の介護施設の建設や運営に専念した時期を除き、様々な仕事をやってきた。日本人向けメイドの派遣やその他のマンパワーサービス、1990年代は日本からの進出も多く、今の3倍以上に日本人がいた時代、進出する日本工場への物資輸送や社員食堂運営。その他の事業や一般飲食事業からホテル内飲食、ナボタス漁港の10トン級の漁船団のお手伝いで日本の漁港に中古船の買い付けや地元網元との協力、養豚場や養鶏場の運営の勉強から輸送状態や解体状況、野菜農家の現状から保蔵輸送問題。と多くの事を見聞きしてきたが、もう疲れた。フィリピンは疲れる。知れば知るほどその問題の奥深さ、広大さが解ると手の付けるところが解らなくなる。なぜフィリピンの鶏は痩せこけて骨ばっかりなのか。豚も痩せそしてなぜ匂いが強いのか。こうした調査から私は食べなくなったローカル物は多くある。昔は旨いと食べていたローカル雲丹はこの試験結果から一切口にしなくなった。農薬が多くある野菜も食べなくなった。どうして食材価格は日本の倍で消費者の望みを作り手から中間業者、小売店が理解できなのであろうか。おもてなしには程遠い。

私が来た30年前。よく人はフィリピンの発展は素晴らしいというが、私は2002年まではそうだが、それ以降はむしろ落ちていると思っている。都市部にビルは馬鹿のように建てたが一本10億円のビル50本建てたって500億円その倍の100本でも1000億。F35戦闘機10機分で、見かけを良くしただけだ。中身のない虚構としか思えない。教育レベルは85位から108位、アジア一位がバングラデッシュと肩を並べるまで落ち。新車の販売数から2:98の金を持つ人、銀行口座も持てない人の比率は変わっていない。貧困は地方部に広がり、貸し先が無い地方ルーラル銀行の金を中央に集めただけだ。高級マンションとは言うものの、AIRBnBでマンション業者が短期の貸し手探しに夢中で、ビルの品格などは既にない。新たに建てた事務所ビルはコールセンターの呼び込み合戦。呼び込めると他のビルが空室となる。商業ビルのテナントも既に採算ベースの限界を超えている。BGCボニファシオグローバルシチィもコールセンターやその他で働くものの為のBGCバスの運航も限界で通勤時間のバス利用者が溢れ、バス停では下手すると2時間待ちまで来ている。その為コールセンターでは自前の通勤バンを用意しているがこれは予想外のコスト高となる。駐車場も満杯で昼間は1時間待ちでBGC来客者はそれが嫌で来てくれない。しかしジプニーの運航を許可した瞬間にBGCはマカチィ同様に浮浪者の街になる。右を向いても左を向いても、過去のきちっとした積み上げをしなかったツケがここにも表れている。

フィリピン不動産賃貸売買における注意点

写真は不動産権利書、最近都市部では書式が変わり白地に青色の閉じが付くものに成ってきたが、まあこれが一般的。不動産を借りる、売買すると簡単に言うが、素人では少し難しい。免許を持つ不動産仲介人。日本では買い手借り手が半々で費用を出し、仲介人が物件を調査し、両方に納得いくまで説明する。しかしフィリピンの仲介人は貸し手、売り手からのみ手数料を貰うので貸し手売り手の不利な部分は説明しない。それ故に借り手買い手は徹底的に調査をしなくてはならない。例えば土地を借りて建物を建てて商売しようと思った場合、相手の仲介業者に土地権利書のコピーを要求、持ってきたが2ページまでしかない。此方で全体謄本をあげたら、次のページにこの土地に訴訟が起こされていることが判明。その訴訟がどんなもので何時まで続くか裁判所で調査を行い、賃貸期限内で相手が勝訴するかどうかの判断。それからそのビジネスやその土地に建てる建造物が許可されるかの事前調査でバランガイ(市の中にある最小行政)事務所、もしその土地がビッレッジ内だとするとビレッジのコードに触れていないかを事前に打ち合わせを行い、その事を前提に市役所に行きビジネス許可証が下りるかの事前調査 等が必要となり、仲介業者作成の貸し手売り手側に立った契約書の修正を強気の仲介業者にこの事実をたたきつけ納得させて修正させる。かなり大手でもこれをしなくて、土地を借りたが1年も許可が下りないケースもある。フィリピンでは仲介業者は、こちら無視の売り手の犬であると解釈せざるを得ない。

BGC Bonifacio Global city. フィリピンで最高のエリアだが。。。

ここは高台で洪水は無い。10年前は泥の山だったが、そこにビル街を作ったので、ここに入って来る道は以前は洪水しなかったが、下水から逆流鉄砲水で思わぬところが洪水を起こし大渋滞でBGCには入れない、出られない状況になる。天にツバを吐くとはこの事だ。

昨日は台風の影響で雨。でもそんなすごい雨でも無いが、今時のうちの欠陥マンション。何時も雨が降ると地下一階 駐車場が水浸しだが、昨日は駐車場に行く通路が膝上浸水で通行止め。(笑) フィリピンのマンション買うなんて、昔は私も買って売ってやってたが、今買ったら買った瞬間に半分以上の損して、その上この手抜き工事。突っ張っているが高くは貸せず。安くワンベッドを、4万円で借りててよかった。でも不動産業者はこの同じ部屋を8万円と言って分からない外国人に貸している。可哀想に。いつでも騙される外国人。