マニラの食事

これだけ華僑がいるフィリピン、しかし美味しい中華料理にはなかなか出くわさない。マカチィBGCにある中華料理店で私が好きな処。 でも料理長が変わるとすぐ味が落ちる。品揃えで最高のマカチィ シャングリラ内シャンパレスでさえ一回落ちた味を立て直すのに時間がかかったくらいだが、最近はまた一段と美味しくなったようだ。しかしここには紹興酒の12年物、16年物もあり、ワイン、こうしたお酒類の種類は天下一品だ。 私は以前はグロリエッタ5の4階にある北京ガーデンが好きでよく行った。ジェードガーデンは九龍フェリーにある本店や東京新橋にもあり、これもよく行った店だが、マニラは少し高いような気がする。マカチィ Arnaiz 通りのHai Shin Lou Seafood King Restaurant は一時良く通った店で北京ダックが美味しかった。 まあここら辺までが高いが美味しい店。やはりお一人5-6千円からとなる。すこしこれよりもお財布に優しく、味も一定して美味しいのはジュピター通リの International Master Chef Kavinoでいつでもシェフが頑張っている。BGCにも中華はあるが、ちょっと価格と相談だが価格の割に物足りないか美味しくない。他にも大衆的な中華料理は多分十数件あるが、これは置いといて、一番安い店で満足感のあるお店。マカチィスケアー地下にあるEMARS、いつもちょっとビールと8種の宝スープで100ペソ。他を頼んでも殆どが100ペソ台だが費用効果は抜群の店。しかし次のこの看板のないロックウェルから一本入った大衆地にあるこのお店。青島ビールが安くあり、抜群のチャーハンその他。しかし前もって頼んでおくと上記お一人5千円1万円の料理も作ってくれて、価格は5分の一以下。一回私のおごりの20名の宴会をここでしたことがある。シャンパレスなら10万円以上。飲んだらもっと。しかしここでは飲んで食べて1万円ですんだ。(笑) マニラの夜は更けて。。

私はここでBGCで飲食評論家だと思っている(爆笑) その私が以前紹介したBGCで一番安い和食屋 松屋。月曜日はここからとんかつ定食、今日はさんま焼き定食P170~190.月曜日の夜は先週土曜日昼と同じむさし帝。たまに、まい泉BGCシャングリラ店、まい泉の現地パートナーはフィイピン最大のアパレルメーカーのベンチ、ここBGCにも2つのビルを持つ。その他にヤブやサボテンもあるので、ここに住んでとんかつには困らない。サボンテンが最初で店舗展開、続いてヤブが台頭し多店化、同じことはラーメン屋も同じ、しかし多店化したところは、まい泉でも同じだが、フィリピン人料理人では味が変わっていく。フィリピン人マネージャーではサービスの本髄からずれて、チャンチャラ可笑しい。むさし帝はこの中では最高金額、しかし味やこだわり 例えば付いてくる汁が、トン汁だったりで、おまけにコーヒーまでが付いてくる豊橋商人道には頭が下がる。とんかつの味では他を抜く美味しさがある。ラーメンもいい味していた。P100ペソ台からあるおつまみや焼酎やお酒も安い設定。直営店で経営者の指示が直接現場に伝わる。素晴らしい。さて話は戻るがすべてがP200ペソ以下メニューの繁盛店(1日4回転以上)松屋には最近行かずに弁当を買わせに行かせる。行くとビール65ペソを見るとつい飲みたくなり、昼からの仕事に差し支える(笑)今日もBGCで飲食評論家は食べ歩く。

前にも言ったが31年マニラ暮らし、しかし一般のフィリピン料理は食べない。しかしここで美味しいフィリピン料理を発見した。フィリピン上流階級は家に料理もマナーも教え込まれたメイド頭がおり、その下に20名くらいの下働きがいる。このメイド頭の下で育った第二のメイド頭を娘が嫁に出るときに一緒に送られる。こうしたメイド頭のフィリピン料理は最高であるし、マナーもよい。多分この店はそうした人がやっているに違いない。このモロスープ。スペインの代表的スープ スパデアホと東洋のワンタンが合わさったスープ。このスープが食べられる店は少ない。それにビールの摘まみに頼んだ小エビ唐揚げ、他の店で付くタレは中国の安い醤油や酢を使い不味い、しかしここは本来の魚油とチリとの絶妙なコンビネーションと フレンチサラダのワインビネガー同様の素晴らしいココナッツビネガーとタルタルソース。堪能させられた。最近の日本料理店もラーメンや何だと言うが店従業員の訓練が成っていない。日本料理には善に対してもの置き方がある。食事 と飲むときでも違う。小皿と言っても用途とサイズを変えるルールがある。昔 飲食店をやっていたときは 毎週 勉強会と試験をやっていたが、今はその訓練は感じられない。(涙)

BGC ボニファシオ グローバル シチィに無いものが2つある。その一つは日本食材店だ。 韓国食材店は3つもあり、最近は日本食も少し並べいる。もうひとつは本格的な音楽が聞ける場所。昔はどこ行っても聞けたが、家賃が高くなった今、レストランバーの運営からバンドを養う費用が拠出出来ない。マカチィのハードロックカフェですら、アヤラが有名店が潰れると困るので、別途に弁護士事務所と共に別会社で面子を保っているが最近閉めた。写真はマカチィで唯一昔から生き延びるストランプス。金曜日の夜は飲み過ぎて二日酔いだったが、昨夜 久々に行ってきた。しかし余り楽しめ無かった。20年給与が上がらないフィリピン。何でも適当にやるという風潮が一般化している現実。音楽の世界も同じか?? 何か締まらない。今 BGCに日本食材店を作る計画をしているが、こうしたライブハウスも作らないとダメかと思い始めた。フィリピンから音楽を取ったら何が残る。(笑)

最近のマニラ御時勢。物価が上がり同じお金の価値が減りお財布が寂しい昨今。安酒 安ワインで我慢しているが 昨夜は私が好きなパワープラントでボルドーワインを心地よく飲んだ。安ワインだと寝つきが悪いのと夜中に喉が渇く。やはり昨夜は気持ちよく眠れ喉の渇きもない。やはり酒は離せないが良い酒が良い。しかしパワープラント3年前まではこうして飲んでると10人位の知人に会えたが、今は世代変わりか一人も会えない。でもどう考えても7-8年前までは本当に楽しめた。ワインと食事の会 ロンドンに本部を置き世界中にある社交クラブの会員になり、ロンドンから送られてきたメダリオンを頂き、月二回の会合にも積極的に出て世界の一流ワインも楽しんだが、時に月桂冠をフィリピンに紹介した時でもあり、日本レストランふるさとも遣っていたので、年に一度はワインと同じ発酵酒である さけと懐石料理の会を会員にもようしていた。5‐60十人は毎回来てくれた。そのふるさとも2012年に売却し、不動産は下落。賃貸収入も下落。いや奈落の底。だが同じお小遣い金額をキープしているが、最近はワインと食事の会にもご無沙汰で、サントリー山崎 やフランス アルマニャックやその他の酒やワインが1000ペソ台で買えたが、今や3000ペソ以上。昔は10万円で暮らして、食べて飲んで、その上の王様に成れると言っていたが、今や10万円じゃただ飯食って飲んで終わりのマニラ、、、いやに成るね。日本の田舎の方が全然安い。

古い人は、古い車に乗って、古い店に行く。

マカテイにあって、数少ない私の憩いの場所。ここのお客さんの50%はヨーロッパ系のインテリ層で隣のテーブルで話す内容もレベルが高い。昔はこの店の隣にウエイトレスやウエイターがオペラを歌いながらサーブする店があった。その頃はグリーンベルトの教会の周りには2階建てのスペイン風の建てものが並び、そこにあるレストランにはジャズやバイオリンとピアノ、歌手とかが溢れていた。まだ、1000ペソ札がない頃で、日本だったら1万円の価値が千円以下で飲んで食べて楽しめた。この国は身の程を知らず その後モール、高層ビルとなり、経費、管理に金が掛かり、家賃がこうした価値観を無くして行った。自分がもっと儲けたくて、かえって自分の首を絞めたのだが、天にツバを吐く行為。幾ら内装をしても、所詮コンクリートの器では雰囲気には限界がある。結局レストランはつまらない 特徴がないモノに変わって行った。私が25年前 最初にマカテイに作ったレストラン。カウンター内は畳を敷いて、ウエイトレスにはちゃんとした着物を着せて畳に正座して、炉でお湯を沸かし、お茶のサーブ、そしておかえりには抹茶を出していた。当時のうちの板前には月40万円の給与。マンション、車を無料で付けていたが、それでも儲かった。

しかし今の現状は10万円出せれば良い位まで、家賃 食材費が上がり、歌もバンドも入れられない、その上従業員サービスは目を覆う状態。やはり経済的の優位性を生むためには 発展途上国は身の程を知る事である。

日本人とフィリピン人の食生活は違うが、日本人でもフィリピン人でも生活環境と言うか収入格差でも大きく違う。しかしフィリピン人の富裕層と日本人の富裕層とは完全に一致している。ワイン酒その他のお酒を飲みながら、美味しい食事が好きで、量より味である。しかし富裕層はケチで、費用効果をまず考える。そしてその費用で最高のものを考える。故に肥満は少ない (笑)

日本のサラリーマンは居酒屋で酒を飲みながらつまみ。最後にラーメン。しかしラーメンが高いと、それも辛くなる。しかし金回りが良いとラーメンに走るので、自然と肥満メタボが多くなる。

フィリピンの一般人98%は2万円程度の給与。何処かの居酒屋にもラーメン屋にも寄れず。真っ直ぐ家に、そこで腹一杯のご飯を一つのおかずで平らげる。それから近所の仲間が家の外に集まり、仲間内で、ちょっと金回りが良い奴が一番安いジンを持って来て、持ちよったプルータン (つまみ) 、大体 はブタの関節部分で脂がギトギトを食べながら、夜を過ごす。余談だが、ちょっと金回りの良いおっちゃんが実は選挙を仕切る金持ち政治屋の手先。この食事と飲み方、まあメタボ あの大きなお腹になり、心筋梗塞で65歳までは生きられない。(現実)

これは日本の方から頂いた 素晴らしい日本人の為のおつまみ。実に美味い。どうにかフィリピンでも売れないかと考えるが、上記の理由で売れない。その商品が売れる売れないは、その国の事情で変わる。フィリピンでラーメンやその他日本商品が売れるのか。料金が100円台なら、好きなら2週間に一度。でも、1000円なら一般人は一生食えない。富裕層は私と同じ、年に5回食べるぐらいしか興味が無い。何故ならお腹が膨れる。

日本人感覚で売れるのは先進国しか無い事、勉強すべきだ。

これはBGC家の事務所前のビルにオープンした日本レストラン松屋。ここは私も興味があって大家と合ったが飲食は出来ないとの事で家賃は10万ペソ(20万円)約100平米(30坪)である。まああ今回飲食としてオープンしたが、オーナーは韓国の人である。一昨夜も行って二人でお好み焼きと味噌鍋とビール3本飲んでお勘定が600ペソ(1200円)とBGCでは破格の値段。今、この韓国人オーナーが好きになっている。同じ商売道(剣客)として尊敬できる。日本人では誰も出来ない芸当である。家賃10万ペソから逆算して売り上げ目標100万ペソ(200万円)月額。30坪の中にこれだけのメニューを作るキッチンが要るため、客席はカウンター含めて28席。一人客単価600円として4回転で100名で1日の売り上げ6万円で30日稼働でも180万円にしかならず目標の200万円に少し足らない。しかし4回転する事じたいBGCでは不可能だが、この客単価でどれだけ集客できるか?しかしこの店はその奇跡を生んだのだ。連日昼食夕食深夜まで客足が絶えずにいる。メニューの殆どが100ペソ台だからコールセンターの連中でも来られる。それに売り上げ200万に対して置く造作の減価償却を3%と置くが6万円月額、1年償却が望ましいが、それは72万円で、これで椅子机 厨房その他を作り上げる。この店はまさしくその条件をクリアしている。こうすれば2年以降この6万円がそのまま使える。日本から馬鹿なお金を持って来て造作に使い結局丸損をする他店からみれば、まさしく王道を行っている。この韓国人オーナーに私の好きなメニュー レシピを教えて、行きつけの店にして行きたい。私の食費もそれで抑えられる。(爆)

ある人との話から古い写真が出て来た。2007年にマガリアネスに出したお店。2009年の頭に撤収した。しかし居ぬきで借りて、在庫の椅子やテーブル、調理器具を使ったので、かけた造作費は10万ペソのみだったので、2年半では減価償却も踏めて大黒字で撤収した事になる。これをずるずる持っていたら赤字に成る。この本店も2011年に売却し、我が飲食業ビジネスから私の施設内の小さな食堂を除き、完全撤退した事になる。マカティ通りの店1992年からマンダリンホテル、各工場のカンチィーン、リトル東京、と遣って来たがこの片手間に遣っていた飲食業は、今の物価高、家賃高では片手間では儲けられないし、日本と同じ金額(今は日本より高い金額だが)で品質サービスとも優れた事はもう出来なくなった。(涙)

日本の地域経済発展

4日間の休暇。頭すっきり。アインシュタインの相対性理論。時空のAB間の距離は変わる。即ち50年間ビジネスの常識と言われた事に終止符を打ち、変化を与える時である。変化を感じない人はビジネスを辞めた方が良い。

12月なのに普段なら人であふれるマニラ国際空港。しかし写真のように人が居ない、飛行機はガラガラ。これがGDP6%成長の国なのか? いやそうでは無い。GDPという概念を変えないといけないという結果だと解釈した方が良い。

私は今まで日本で行った事が無い県が2つある。今回の大分県、と宮崎県。あのバブル時代に見放された県で、私のビジネスでは行く用事が無かった。しかし今の大分をマニラで宣伝をしたいという方が現れ、5月に開催した着物ナイトだが、私自身が大分をイメージ出来ないので、今回行ってきた。大分温泉県。代表は別府だが、地獄めぐり等もしたが、あまり面白いものとは感じなかった。大分、福岡。いや九州から、もし韓国人、中国人、アジア観光客が無くなったら。。こうした観光産業は生きていけるのか? 別府には例の大江戸温泉チェーンがオープンして、一般の温泉旅館だと一泊2食付きで約1万6千円程度だが、一気に8千6百円で宣伝攻勢をかけている。別府温泉もこれで価格破壊が起きることは間違いない。街の中にも価格破壊ビジネス(家電 洋服 家具等)が横行し、既存のデパートには客が居ない。

ガイド譲が面白いことを言った。別府の温泉の湯けむりの街並みの景色は日本10大景色中2位で、1位は富士、3位は函館の夜景。。そんな馬鹿なと思ったが、そう言わねばならないのだろう。その地獄ツアー20名中、日本人は3名。しかしタイ人、韓国人、中国人観光客への多言語サービスを行っていないので、そんな話も日本人しか解らない。故に韓国人や中国人専用のツアー会社の方が現場に行くと活気がある。このツアーバス会社は創業90年の歴史と日本で最初の女性ガイドを採用したお地元企業だが、転換をする時期に来ているようだ。

今週はこうしたお地元企業を海外に売る方法とマーケチィングについて考え

日本のお地元を海外に売る方法とマーケチィングについて 三日目。今までを見ていない方は、私のタイムラインより参照してください。

別府と言う街を海外に売る。「温泉文化の商品化」を図るにはお地元の意識改革が無ければ売れないと私は考える。しかし別府は既存の旅館と言う宿泊、食事、温泉とお客を囲い込み、高い 別名 付加価値金額で生き延びてきたが、100万人と言う年間利用者は過去10年以上変わらないことは市の入湯税金額から解る、しかし日本人客が減り、韓国、中国、アジアからの客が全体の80%近くまで占めるように成っている。またお江戸温泉グループ等の進出で今までの付加価値価格の価格破壊も始まっている。

もし韓国や中国の政治的異変で急激に訪問者が減ったり、他に興味が移り減った場合には壊滅的な打撃を市民経済のみならず、市の運営にも多大な影響を与える。

今から国内市場の掘り起こしや海外欧米アジア市場の開拓が早急な課題となっているが、お地元では既存の勢力の高齢化で変化を好まない体質が染み込んでいる。

私のアイデアは簡単で、今までの倍の200万人訪問者にするためには如何するかである。それは既存の旅館と言う宿泊、食事、温泉とお客を囲い込み、高い 別名 付加価値金額で生き延びてきた体質の変化でしかない。既存は残すとして、既存では何故お客を引けないかを考えると、マンネリ化した旅館の食事、マンネリ化した部屋、マンネリ化した価格等様々な理由が考えられる。そこで考えられる策は、囲い込みの囲いを外す事である。食事も自由に選べ、温泉も自由に選べ、宿泊スタイルも自由選択できる フリースタイルに如何に持っていけるかである。2人で5000円でも、日帰りでも楽しめるものを作り上げる事だと思っている。その第一弾として、お金を掛けずに市の公園の開放で、食事を楽しめる 温泉横丁飲食街を作る。その横にはオートキャンプ場の開設で、「別府はつまらないし高い温泉旅館の町から若者でも楽しめる場所」のイメージを作り始めたらどうだろうか。

このフリーチョイス志向は私を含めた欧米アジア人には大いに受け入られる感性だと思う。また市財政も200万人の温泉利用者になれば、大きな転機となる。

どうだろうか? では明日は海外からのその呼び込み方法について考えて行きたい。

日本のお地元を海外に売る方法とマーケチィングについて 四日目。今までを見ていない方は、私のタイムラインより参照してください。

昨日まで説明してきたことを纏めると、別府は既存の旅館と言う名の客の囲い込みという方法を誇示しているが、これにより、それに飽きた日本人観光客の減少が見られるが、しかし韓国、中国、アジア人観光客で満たされているので本来の客の満足を忘れているが、本来日本人観光客が満足して多く行くところに外国人観光客が行きたがる訳で、韓国、中国、アジア人観光客が日本人同様に飽きた場合はどうするのか? その為の方策は、旅館と言う形式は従来通リ置くが、旅館の持つ宿泊、飲食、温泉を切り離した個別の面白さを創造して行かなければならない、「温泉文化の商品化」を旅館という既存の物に加え、民泊やキャンプ等の宿泊の多様化、旅館食という既存の物に加えて、温泉横丁で個性ある食事の台頭。旅館の中にある既存の温泉イメージに加えて多様な温泉プールや温泉を使った料理その他の開発。こうした事によってフリーチョイスを好む日本の若者層や欧米アジア市場を刺激し、今の倍の観光客誘致を実現化させる。

と思っているが、では何処に観光客の啓蒙啓発を行えるかだが、勿論多言語WEBが有効となる。しかしWEBへの導線として、大分県物産の海外での販売は重要な要因となるが、今までの物と違い、ラベルを多言語化する事と、そのラベルに開発した多言語WEBに直結するQRコードを付けて、応募した人に懸賞を付ける、例えば福岡国際空港からの往復運賃無料化とか宿泊、飲食、温泉のクーポンの配布等が考えられる。大分を「味わえて、理解する」方法が考えられる。

例えば、このふりかけを考えた場合には、もっと専門家に考えてもらうが、基本として大分とは日本の何処なのか?それに興味が沸けば、WEBを見る、大分を知る。他の商品も知る。他の商品も買いたくなる。大分にも行ってみたくなる。と言った動機付けが出来れば良いと思っている。

明日はこうした動きが始まった場合。どういうイベントを海外で行ったら良いかという点を検証してみたい。 

日本のお地元を海外に売る方法とマーケチィングについて 五日目。今までを見ていない方は、私のタイムラインより参照してください。 お地元と言っても例に出しているのは大分県です。それの既存の改善点からの集客、県内名物の輸出振興とその物品とお客の受け入れ態勢の関連性を作るQR表示。そして振興イベントとなるのですが、今年5月にマニラBGCで行った着物ナイト https://youtu.be/GrSIpLFXnJg は本来 大分を売る話から始まっていましたが、時間や予算の関係等の準備不足で、普通の着物ショーに終わってしまいました。

来年は確実に、大分を意識したイベント演出、大分の産物も開発して並べ、誘致作戦のWEB作成や受け入れ側の準備も必要です。これをするには大きな力、即ち大分県人の結束と協力が必要です。

私はフィリピン、マニラ側の準備や交渉は簡単に出来ますが、お地元の協力なくしては出来ません。今まで長々と述べてきましたが、私は少子高齢化を1984年に感じて、マニラに新天地を求めてきました。当時は思った通リフィリピンにバブルが起こり、日本のバブルでサーフィンを楽しみ、マニラのバブルでも10年間サーフィンを楽しんできましたが、人が言う人口リッチ 即ち人口爆発で経済成長するフィリピンを夢見ましたが、爆発した人口の教育レベル低下により、経済を成長させるはずの人口が、むしろ負、経済の重荷の方向に進むことも勉強しました。しかし98%人口は貧乏で何も日本からの物は買えませんが、2%200万人のお金を自由に使えるマーケットは存在します。という事は大分県人口120万人、消費も出来ない人口も居ますので、約大分県の倍の人口の消費者が居るわけです。

このマーケットに的確にヒットしていけば面白いと思いますし、ここでの成功例を欧米やアジア諸国に広げる為のステップであると確信しています。

しかし、1984年、自分が今まで遣っていた会社を業界2位に譲り、私は日本を後にしましたが、その12年後、この業界2位の会社も倒産しました。ここで一つ言いたいことは、体力があるうちに決断し、変えていかないと、体力を失ってからでは遅いのです。別府市の状態を見ても。今は良いが、明日は有りません。今変える時だと判断しないと明日はありません。1000年のきらめきが一瞬で無くならないよう、市役所、地銀、の協力のもと県民一丸となって1100年目のきらめきを残しましょう。