日本の京都、台湾、には文化のシンボルが有れば良い。自分勝手な高層ビルは必要ない。しかし、アメリカ文化を崇拝した中国は文化を残さない。

日本も主要都市の駅前は金太郎飴で、何処の駅に降りたのか分からない。ある意味日本の戦後の文化の無さの象徴とも言えるし、それが20世紀の文化なのかも知れない。(笑)私はビルが建ったから、また高層ビルが建ったから、それが文化だとは思わない。文化とは人の内面に有り、着飾れば良いというものではない。では21世紀の日本の文化とは何を求めるべきであろうか。ロボットやIoTが文化になるのであろうか? おもてなし とは相手のことを気遣う事である。では高層ビルは相手の事を気遣っているのだろうか。相手を眼下に見て見下すのが目的なのであるのか。いやそれが歴史の浅いアメリカ文化とも言える。
しかし、歴史、伝統を壊した中国は、結局アメリカ文化を崇拝したに過ぎない。しかし、そのアメリカ文化が日本の根源で良いのか。
もう一度、原点に戻って、日本の21世紀の文化とは何かを考える時が来た。後世の日本人にあの時のあいつらは馬鹿だと言われない様に。。。

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