教育。それは物事の方程式(常識)を教える事。後はその方程式を組み合わせる考える力を作る事。そしてそれは新たな方程式を発見する為。

教育事業とは面白い。人に未来を与えられる。数学、社会学、法律、医学とすべての分野で必要な事は、新たな方程式を発見する事。その発見が人類を幸せにする事である。その為には過去に積み上げられて来た方程式を教え、学ばせる事、その方程式を有効に使える方法を教える事である。ある意味教師が出来る事はそこまでで、後はそれを使って新たな方程式を考えるのは生徒たちの努力である。教えた先生ですら新たな方程式が出来ない。出来た人が教授と言う名で呼ばれる。そうで無い教授も多くいるが、基本としては、そう言う事である。先生と言っても、この基本が解って無い人もいる。
では技能とは何か。この方程式が出来上がり、その中で実際のモノを作り出す能力である。勿論、方程式を知らずに、モノは作れない。しかし、世の中には、方程式を知らずに、モノ作りを論じる人が多い。フィリピンの教育は正しくそれである。日本もその傾向が強くなって来ている。モノは出来ても製品に成らず。品とは人の為になる物である。しかし、そこには多くの違った方程式の組み合わせが必要となる。
まあ手短なところで言えば、英語を使う と言うのは一つの技能であるが、英語が出来るからと言って、製品にならない人も多くいる。何故か。それは方程式を理解していないからだ。イタリアの紙幣に描かれるモンテッソーリ、その教育へ対する考え方は0歳児からスタートする。そしてあらゆる方程式を巧みに使う。私としては興味深いし、インドのガンジーも共感者の一人である。良く違った色を織り込む事は教育理念という人もいるが、正しくありとあらゆる色が混じり合って一つの製品が出来てゆく。教育とは面白い。

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