戦後の日本。日本人はどうして生き延びたのか。有る物、出来る事。ノーチョイスでも生き延びられる。

日本の警察がまだ拳銃を持てない時代。闇市では縄張り抗争で拳銃で人が殺されていた。日本の警察は駐留軍の力でしか抑えられ無かった。有る物で出来る事。で有る。私もちょっとこの後に生まれたので、覚えている光景でも、道は舗装されて無く、木の電柱、木のゴミ箱、駅前も舗装されて無く、大道芸人や、ガマの油売り、公園には駄菓子屋の出張サービス、東京でも五右衛門風呂、うちの前はスラム。うちは多少裕福であったので、住み込みネイヤ、フィリピンのメイドがいて、同じく裕福な家に遊びに行くと、ネイヤがゴロゴロ、家の別棟には植木屋が住んでいた、しかし裕福な家でもニワトリは飼っていた。ニワトリは卵や肉は人間が食えるが、犬は人間が食べるのが先と言う考えだ。
これは口にしたく無いが、今の若い奴はチョイスが多くて、それで生き延びられない奴が多すぎる。贅沢なもんだ。
フィリピンに対する考えは、日本はあの時から、これだけの発展をした。フィリピンにもチャンスは有る。有望だと考えたのが35年前。しかし、35年経って給与水準も公衆衛生もそうだが、私は余り貧乏人とはお付き合いが無いので、それなりの家にしか行かないが、35年前と同じく、メイドがゴロゴロいて、今も昔も変わりが無い。日本では私が小学校6年の東京オリンピックの時にはネイヤは居なかった。お手伝いさんになっていた。笑笑。
東京は戦前から地下鉄が有ったが、小学校1年の時には地下鉄で学校に通っていた。それから64年後、マカチィに日本の援助で地下鉄ができる様だが、フィリピンには世話になったが、全て徒労の35年。日本に片足仕方ないね。

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