炭素ニュートラル=社会ニュートラル。高層ビルでは両者も敗者になる。

前のカーボンニュートラルの話でしたが、「1人の人間が1 年間に呼吸ではき出す二酸化炭素の量」=360(㎏/年・人)としていました=1日1人約1kg相当と言われ、密集するとストレスその他で排出量が増加します。都市と言う巨大な密集地では巨大な二酸化炭素の量になります。均して考えると、人間1人が呼吸により排出する二酸化炭素は年間約320kg、これを吸収するにはスギ約23本が必要といわれています。また、自家用車1台当たりから排出される二酸化炭素は年間約2300kg、この吸収に必要なスギは約160本と試算されています。これをベースに脱炭素とは何か、逆に炭素が無ければ、木は育たない。木が育たなければ、酸素は供給されない事になるので、人間を含めた動物は生きて行けません。だからこのバランスを上手く取りながら、脱炭素と言う考えを真剣に考えるべきです。
何故ビルなのか、業者が儲かるから?数の原理で儲かると思った人の皮算用には大きなビルが必要だから?誘致した市町村が固定資産税が儲かると思ったから。都市部では高い土地を有効活用して、もっと儲けようと思ったから? 全てひとの欲から来る、私に言わせれば妄想、欲望でしか無い。折角木が生い茂り、美味しい空気が吸える場所に、数の原理で大きな建物で多くの人を呼べば儲かるとビルを建てる。膨大な資金と金利、膨大な電気を使い、人件費や
コストが大きく掛かるが、それは数で補う、数の論理で銀行や町を納得させて建設する。最初はバス会社や旅行代理店がちやほやして客が来る。しかし大事な事を忘れている。人は人が少なくて、美味しい空気を吸いに来ている。人が増え、バス、タクシーが増えて空気は汚くなる。美味しいはずの空気が無い。結局は2回行くと嫌になる。人間は美味しい空気を探して、温泉に癒されに行く。入浴しようとすれば人が多く、食事も大宴会場で皆んなと一緒。最近はその改善型が出てきたが、ビルと言うコストを落とせない実情から価格が高くなる。結局人は離れて行く。癒されて、空気が美味しく、安い所へと。単純なストーリーで有る。
廃墟になった温泉はどれも同じ間違いを犯している。数の論理。レストランでも言えるが、場所代が高い事は同じ間違いに陥る。旅館の改良型と同じでメニューの単価を上げ、おもてなしと言う言葉を作り上げる。所詮は廃墟になる前段階で有る。都会では再開発などと世間を誤魔化し家賃を上げる。私はこの数の論理は全て終わっていると思う。社会ニュートラルで有る。前にも言った家賃2万円のアパートはビルでは出来ない。コストが高いからだ。償却年数も高く、後々までに、最初の建築費が後を引き。コストが上がる。
社会ニュートラルと言う、考えに立ち、家賃2万円のアパートを作る為にどうするかを考えるのが自然なのでは無いだろうか。室内車庫付で2万円で住めるアパート。絶対に廃墟にしない移動出来るアパート。

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