論議でウダウダするのは無意味。論議は実証するかどうかで、最初から実践実証しても無意味なものは論議の必要は無い。

世の中には評論家と言う人、また評論家ぶった人は多いいが、実践無くして結果無しでしか無い。やった事が無い人に、またやっても、その成功、失敗を分析でき無い人に、何かを論ずる資格は無い。日本の政治の世界で言えば、空論だけで国民の意識と自分達の存在価値を主張する 公明党 10万円給付と言っても、存在価値は無いよね。アメリカもそうした論議の末に、共和党と民主党の2大政党となったのだろうね。やる、やらない。ではやったらどうなる。と言う論議がなされている。日本の野党の政策は、反対派で何時も反対。じゃあお前ら何したいの。共産党も赤旗収入は無いし、党としてもジリ貧。だから野党第一党で有るに、自民党にしがみつく公明党の真似をしようと立憲主義党にしがみ付く。だから立憲共産党で立憲共産党は敗北。それでも選挙協力をしようと立憲の奴がまだ言っている中での立憲代表選挙。何の意味があるの。いろはのいから間違っただけでしか無い。維新の会は伸ばしたが、前にも言った徳川家康と豊臣秀吉の戦いでしか無い。関西大阪では強いが、東京では嫌われる。関西大阪で強い党と言うだけだ。しかし、この党をどうやって全国区にするかだ。松井代表の作戦を見てみたい。論議ができる人かどうか。やっぱり最後は党員の質 即ち 知識、認識、決断が出来るかどうか、サラリーマン同様に給与泥棒しかいない党は滅びて行く。アメリカの様に、民主主義をベースに二大政党が出来るのか、それともいつまでも野党でしか無いのか。

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