今8万人観光客強制隔離で話題の海南島三亜は、私の海外介護施設建設の最終選択肢マニラと三亜。37年前。

当時は香港にも会社を持っていた。通産主導のシルバーコロンビア計画から、日本で当時諦めた介護施設を海外に介護施設を作ろうと、あちこち現地を訪れて、最終的にマニラと中国海南島の三亜(中国最南端)の2ヶ所を候補に上げていたので、三亜には3回行っている。三亜では当時ゴルファーの青木さんが、ゴルフ場建設を目指していた。当時は三亜空港、フランスODAで建てられた真新しい空港はあったが、滑走路が整備されていないので、海南島の最北端の首都、海口市まで飛び、そこからまだ工事中だった高速道路で3時間かけて行った。海口空港は馬鹿な空港で滑走路に降りる途中に高層ビルを作っていたので、香港にカンタック空港同様に、住んでいる人が飛行機の窓越しに見える。しかし、当時の三亜は素晴らしいところで、自然溢れる場所であったが、今は倒産する恒大産業が作り出した馬鹿な熱海に成り果てた。当時は随分、フランスが作った空港の中に店を出せと誘われた。場所は良かったが、辞めた理由は、所有権保存登記の問題で、所詮中国は外国人の所有は一才認めず、例え香港会社でも全て中国人代理人名義であるので、結局、マニラの不動産所有が40%出来るフィリピンにした。
当時は香港にいたが、香港から本土に行くのに、キャセイのドラコンを使わずに、深圳まで電車で行き、深圳空港から東方航空を使った。料金が4分の1になった。もっとも飛行機に乗ると、機内食事がダンボールで積まれていて、離陸着陸時はスチュワーデスがそのダンボール箱を押さえていたが、それが何とも色っぽかった。笑笑。

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