時の流れは早い。2009年の思い出。

2009年はマニラは台風の当たり年で、9 月末に台風 16 号(Ondoy)10月の末に台風21号 (MIRINAE)がマニラを直撃した。台風 16 号(Ondoy)は雨台風で、マニラの水源であるラメサ・ダムの水位が一杯になり、緊急放水により、流域が大洪水を起こし、その水がラグーナ湖の水位を上げて、ラグーナ湖周辺地域を水の下へ埋め尽くした。マニラもこうした状況下で水位が上がり、マカティですらすべての道が濁流となった。私も初めての経験であったし、マカチィのブエンヂア通りは胸上浸水で、その周辺にあるマンションの地下にある車両は水の下へ、そして住人はそれから3日間、マンションに缶詰と成った。その他のマニラの低い地域は2階まで水に浸かり、皆2階の屋根に登り助けを求めた。この洪水はラグーナ湖周辺ではその後2ヶ月間水は引かなかった。我々ロータリークラブ(当時はマカチィサウス)もシンガポール・日本の援助を受けて、合計8箇所で2万食の給食活動を行った。その一ヶ月後、台風21号 (MIRINAE)がマニラを直撃した。これは風台風で、多くの屋根が飛び、電柱を倒したので、マニラですら停電が5日間続いた。私の施設の庭に有った、マンゴの木はすべて倒れた。(写真)。しかし私の施設はこの間、一回も洪水にもならず、停電も8時間で復旧した。発電機を用意していたが、大きな混乱は無かったが、周りの地域はすごい洪水で、社員が来られない、帰れない状況はしばらくあった。

2009年はマニラ介護事業にとって、私は既に新規入居者を募集しなくなった年でもあった。

介護人・従業員も200名近く居たが、此処から自然減を待つ9年が始まった。それでも入居者の、特に女性の不満解消に社交ダンス教室をやったり、今はプールサイド・カフェだが、以前はプールサイド・バーに、お相手をする女性を用意していた。😂 私もテニスやゴルフをして暇つぶしをしていたが、今はやっていない。💧

5年前、このダンスインストラクター(マイキー)がカビテ・イムスの自宅で惨殺死体で発見された。2008年には私の施設長の日本人も、隣町のカランバで銃に撃たれ亡くなっている。マニラ33年間、知人の何人かが殺されている。危険と隣合わせ、日本にいたら無かったことだと思う。しかし、まだ安いなら仕方ないが、なんでもかんでも、日本より高い。それで、危険、汚い、秩序がない では10年前に止めると決心したことは、仕方ないフィリピンの現実である。

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