この歳になって、食器洗いで思うこと。男の手料理・食器洗い

私は60を超えて最近自炊をするように成るまで、食器など洗ったことが無い人生。サラリーマン生活もないが食器洗いも無い😂勿論フィリピンでの29年はメイドが居て、幼少期には「ねいや」と言われる住み込み女中がが何人かいた。ここ7年は、住み込みのメイドも運転手も使って居ない。ただ週一回掃除洗濯に来るオバちゃんを使っているだけだ。

しかしここ5年、徐々に自炊を始め、それで食器洗いが日常となり、ああそうか、米ってこんなに洗うのに厄介なものなのかと痛感すると同時に、だから坊さんは食べた後に最後でお茶で洗うのか。私はいつも随分呑んでいるので、翌朝まで放置して、翌朝洗うが米一粒を洗い落とすのに結構大変である。

宿坊でのルールは食後に浄人が香湯(熱いほうじ茶)や浄水(熱湯)を配り、一番大きな鉢にそれを受け、鉢刷(はっせつ)を使ってこびりついた米をこそぎ取る。その後、順に他の器に茶湯を移し同様に洗っていくが、味噌汁の醪(もろみ)など、どんなに細かい粒も見逃してはいけない。この時、洗鉢をしつつ、同時並行で洗い終えた食器を自前の浄巾(じょうきん)で拭き、拭いた鉢から重ねていく。箸や匙も含めて全部洗い終わるころに、折水(せっすい)桶を持った浄人が回ってくるので、使用した浄水を2/3ほど桶に流し、残りを飲み干す。そして、それを浄巾で拭き終えたら、応量器をきれいに重ね、布で包んで収める。

江戸時代頃から昭和初期頃までの一般家庭で見られた「箱膳」の文化がまさにそれである。箱膳とは、銘々の食器が収められた箱で、それがそのままお膳の機能も持っていた。明治時代に発明された「ちゃぶ台」にとって変わられるまでは、全国的に使われたものだし、祖父が生きていた頃はうちもそうだった。

箱の中には、陶器の茶碗、漆塗りのお椀、陶器の平皿、箸といったものが基本的に入れられており、食後はお茶や湯と漬物を用いながら洗うのが一般的であった。これに習い、応量器を用いない精進料理の略作法では、今でも漬物を用いて器を洗う。現在でも、一部のお年寄りの中には、食後にお茶で洗う人が居るのも、その名残といれる。

高野山においての修行「加行(けぎょう)」の間は、肉(牛、豚、羊など一般的に四つ足で歩くもの、鶏)、魚、卵といった動物を食べることは禁じられ、その他「五辛」と言われる辛みや臭気の強い野菜(大蒜ニンニク・韮ニラ・葱ネギ・辣韮ラッキョウ・野蒜ノビル)も取るべきではないと言われる医食同源の完璧なベジタリアンであり、同時に水を多く使わないというエコ精神でもあり、その上にバクテリア増幅をさせない衛生概念でもある

これは中国古来の風習をベースにしているが、更に「洗う人」自分が今やっている後の人々を「思いやる」気持ちの現れだと感じられる。それに小さい時は食べる前に、「お百姓さんありがとう」と言っていた。しかしアジアの歴史の中で、中国や朝鮮を含め、こうした教えを引き継いでいるのは、悲しいかな日本だけと成ってしまった今、我々はこうしたものを後世まで持ち続ける必要があるし、日本人がアジアのお手本になる精神なのかも知れない。

食器洗いをしながら思うこと。。。

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