何故、私が0歳児〜6歳児の保育、教育に拘るか、社会に必要だと自分の子育てで実感しているからだ。
それは人生にとって大きな試練であり、転期にもなる時であり、その軽減が社会と人生を豊かにすると信じているからだ。ましてやこの激動の時代に親が生活を守りながら子育てするのは一大事であり、その為のフレキシブルな、親の仕事がフレキシブルなのだから、それに相応したシステムを作ることであり、しかし、予算があり、その中の家賃を軽減する為に空いた学校利用や車利用が当たり前になる世の中の送り迎えの状況を踏まえた仕組みが必要と考えている。
自分を振り返ると、自分はお金を担当、妻は子育て教育担当で結局妻の社会的キャリアを潰し、私は自分の子供との時間を全て失った。特にお受験と言われる有名私立小学校への道は、3歳から有名お塾に通い、有名私立幼稚園に入れての、お受験である。お金、お金、で妻にも車を与え、有名塾、有名幼稚園、の通いや、夏やその他の時の軽井沢等でのお塾の合宿、私は軽井沢に別荘が無かったので、新たに借りて、これには車が無いとお話しにならないし、月々何十万円の出費、いや時には二人で何百万円の出費となり、最後のお受験では、目標の小学校はあるが、もし落ちたらと思い、次の候補も一緒にお受験、馬鹿で落ちれば問題ないが、2〜3校受かって最後に目標校が開いて、受かると棄権する2〜3校の入学金を払う事になる、一校120万円としても3校+本命で500万円が飛ぶ。それで息子は学習院、娘は慶應という看板を手にしたが、今になってみれば、それが何だったのかは疑問である。しかし、この費用を若干24歳で稼ぐには私は時間を犠牲にした。全国から世界と1年間290日近くホテル住まい、残りの東京にいる時間は接待その他で、年間2〜3日家で夕食を取った。勿論妻もお受験で忙しかった。家も土地転がしで毎年引越ししていた。車もお受験の塾や有名幼稚園(松濤幼稚園)のお出迎えの為に、見栄でしか無いが高級車に乗っていた。しかし、何度も言うが、ビジネスとは何時迄も続かない。私が良いと初めても、他も同じ事をやって来る。ビジネスのトレンドも変わる、ビジネス自身の寿命もある。と同時に家庭崩壊もある。私自身この時期は偏頭痛持ちで何時でもテンションが高かった。まあ、これは極端ではあるが、しかし、親となった以上避けられない事である。
それを如何に、この変化の激しい、低収入で親の立場に立った、しかし私が使った費用に匹敵する、0歳児〜6歳児の保育、教育サポートをしていきたいと思うが、高齢者介護もそうだが、何時もの日本の縦割り行政は、この仕事はこの管轄、ここまでは良いが、ここから先は違法と言う、水の流れは一つなのに、多くのダムを作り、ここからはダメと言う行政との闘いになる事は予想がつく。だから面白いのだが。。。既に図面を作り始めた。効率性を考えるには動線は大切である。そうで無いと従業員の時間当たりの給与が1750円にならないからだ。これも子供を考えるのに必要要素。
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