日本人にもいるが、フィリピンの人の苦手な事その1。広い視野を持ち、他人や周囲の立場からも見れる寛容さ。その根源は「知識」の広さで有る。

知識には際限が無い。人類5万年の歴史上、過去100年の進化は人類史上考えられない進化を遂げて、そのスピードは過去のスピード100年の進化を10年で進化させる猛スピードに変化している。こんな中で、人間の知識の増大もそのスピードに追い付く事を余儀無くされている。まあそれが先進国に住む人間のストレスでも有るが、そこから低開発国に逃れて喩とりを求めても、そこには又、違った大きなストレスが待ち受けている。知識が無さ過ぎて考える事にスイッチが入っていない人間が行う行動を見ていなければならないが、自分はそう成れないストレスの増大で有る、これは矛盾する様だが、異邦人にも成れない、進化人にも成れない、ある意味、哀れな宙ぶらりん。もう歳だから諦めると思っても、何かスッキリ来ない。日本の中にもそう言う人は多く居る。
私も過去35年間で、同じように悩んで来たが、幾度かはフィリピン人化した時もあったが、しかし、何時もその時に、私は日本人、フィリピン人に成れない。日本人のレベルを下げる事は出来ないと、知識探求は忘れずに行って来た。今、片足を知識の戦場の日本に戻そうと更に知識の追求を加速させている。 知識とはそれを何かに直接利用すると言う知識も有るが、全然、目的とは関係無い知識も有る。知識と言う意味では、直接関係無い知識の方が有意義であるように思える。その無関係の知識が、関係ある知識から新しい道を作ってくれる。人生まだまだ面白い。

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