パンデミック。寝て食っちゃ獲る。吾輩は猫で有る。
夏目漱石の「吾輩は猫で有る」の第一章はこう始まる。
吾輩わがはいは猫である。名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当けんとうがつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪どうあくな種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕つかまえて煮にて食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌てのひらに載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始みはじめであろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶やかんだ。その後ご猫にもだいぶ逢あったがこんな片輪かたわには一度も出会でくわした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと煙けむりを吹く。どうも咽むせぽくて実に弱った。これが人間の飲む煙草たばこというものである事はようやくこの頃知った。
と続くが、この『吾輩は猫である』は、夏目漱石の長編小説であり、処女小説である。1905年(明治38年)1月、『ホトトギス』にて発表され、好評を博したため、翌1906年(明治39年)8月まで継続した。
ノーベル文学賞を1948年に受賞したイギリスの詩人T・S・エリオット。1922年に発表した代表作『荒地』は、その詩句が映画『地獄の黙示録』の中で多数引用されたことでも有名です。1972年、ロイド=ウェバーは、作詞家ティム・ライスとコンビを組んだ舞台『ジーザス・クライスト・スーパースター』(私もNYでこのミュージカルを見ました)のブロードウェイ開幕のため、アメリカへと向う途中、空港の売店で何気なく手に取ったのが、エリオットの詩集『Old Possum's Book of Practical Cats(ポッサムおじさんの猫とつき合う法)』、通称『キャッツ』だったのです。これは、のちにミュージカル『キャッツ』の原作となる詩集でした。
私の今の寝て食っちゃ寝る、パンデミック生活で、ふと思った事は、エリオットは実は夏目漱石の「吾輩は猫で有る」を知っていたのかも知れない。もし 吾輩は猫で有るが英訳されていれば、夏目漱石がノーベル文学賞に輝いていたかも知れない。川端康成の様に。。と夢想している。大学前半時代、商売に目覚める前までは、役者になりたい、いや脚本家になりたいと思っていた事を思い出す。文学座に顔を出したり、舞台裏でアルバイトしたり、あの頃、谷ナオミの縛りストリップショーの合間に、まだ売れて無かったコント55号が寂しく出ていた。あの時脚本家を本気で目指していたらどうなっていたか、シェークスピアの舞台にも何度か役者として出演した。だからNYまで評判のミュージカル、ジーザスを観に行った。それだけ本気だったが人生は面白い。
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