私は令和の渋沢栄一になりたい。笑笑。 老人よ。大志を抱け。笑笑笑笑。

500社以上の日本企業の発足に寄与し、東京証券取引所等々。その中でも、近代日本には必要であった洋紙を作る為の製紙会社の設立に尽力した王子製紙(設立当時は抄紙会社)の工場を眼下に見守ることができる飛鳥山に、邸を構え。1879年(明治12)からは内外の賓客を招く公の場として、その後1901年(明治34)から亡くなる31年(昭和6)までは家族と過ごす日常の生活の場としても使用し、「曖依村荘(あいいそんそう)」とも呼ばれ、栄一もこの地をこよなく愛していました。
130年が経ち、今私は紙媒体は必要不可欠で無い限り、無くそうと考えている。皮肉なものだが、企業、産業には寿命がある。私の考えにも寿命があるが、私の考えも、私が死んだ後100年以上役に立つ事をしたい。未来2100研究所よ永遠なれ。

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