まだAmazonで私の書いた本を売っている。当時は幕張メッセの世界宝石展ではパネラーもやった。今は宝飾には興味は無い。

真珠は父親の戦後の立ち上げを支えた大きな柱であり、宝飾の世界から去る最後に父の思いへもあり、当時は日本最大の真珠養殖場であった愛媛県宇和島の真珠加工協同組合の理事を引き受けて、中国真珠に日本起源の真珠をどう守るかと言う戦略もあり、ダイアモンドで言う4C基準と同じに、真珠にも世界規格を作ろうと4S+2Cと言う規格を作り、本に書き上げた。また当時は世界最大と言われた幕張メッセの世界宝石展では、パネラーをして、この仕組みを世界的に広める事もしたが、結局足元から崩れた。良い真珠の定義の基準は真珠の巻きの厚さになるが、その為には2年間の養殖期間が必要だが、当時はテレビショッピング等で安易に販売が出来たので、養殖漁民は安易に8か月養殖して、お化粧 即ち 加工をして早い資金回収に走り、まあそれでは中国製と変わらず、まあお金が全ての漁民、中国真珠養殖者は真珠の本当の価値には興味が無かった訳である。結局、ミキモトは三菱グループであるので、そうした力がある業者以外はその後崩壊して行った。これで私の宝飾に対する価値観が無くなった。それが30年前である。

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