今、私をフィリピン愛が無いと批判する人との論点から、この問題が見えて来た。名古屋だけでは無い。日本人の思考。その1。
38年いてタガログ語もビサヤ語も喋らない私をそれでは、フィリピン人を見下している。フィリピンを愛して無いと批判する人との論戦で、全てが見えて来た。笑笑。38年前フィリピンを英語からアキノ大統領がタガログ語にした。その後フィリピン南北問題から、ビサヤ語を中心とする南部との政治を含めた大きな問題となるのがミンダナオ出身の大統領が生まれ、今またルソン北部のマルコス大統領に変わったが、副大統領に前大統領の娘がなり、均衡を保っている。ミンダナオ、ダバオに住む、いやフィリピンに住む日本人が知らないフィリピンの南北問題がここにある。言わばフィリピン国家分裂論である。しかし私にしてみれば、38年前はアジア最高の教育水準でるフィリピンは更に発展して行くと思っていた私には、このタガログ語とビサヤ語にして、愚民化した政治屋に腹を立てている。5000万人の人口増加で学校を一切増やさず。タガログ語、ビサヤ語で読める本は一切作らずで38年。今やバングラデシュに並ぶ教育水準まで落としたのは、正にこの2つの言語だからだ。だから私には死語でしか無い。国を牛耳る者は私立で英語を学び、英語で本を読む。歴然たる民衆との差が出来る。彼らの中に居れば英語で十分なのだ。ここで変なタガログ語を喋れば、彼らに馬鹿にされる。まあこれに近いことが日本の教育現場で起きている事に気づいただけだ。この続きは次回。
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