「フィリピン終の住みかはどこに」は終わった。

終わった。1995年暮れにスタートした、フィリピン歴史上初の医療介護付き有料老人ホームローズプリンセスホームの歴史は私は既に10年前に見切っていたが、最後まで医療・介護を守り続けたカルロス医師が昨夜亡くなった事で全てが終わった。カルロス医師ローズプリンセスポーリークリニック院長。ローズプリンセスケアギバートレーニングセンター校長。長い間有難うございました。思えば1994年、貴方がパンパンガ病院の副院長であった時にお会いし。私が熱くフィリピン歴史上初の医療介護付き有料老人ホーム設立を語った時からです。その後一緒にフィリピン厚生省に行ったりお付き合いを願い、協力していただくうちに、この構想の重要な責任者を引き受けて頂きました。日本人である私は、土地を購入し建物を建てる事は出来る。これが土地建物所有会社であるが、それとその施設をホテル運営のように管理する会社は私の代表は出来るが、医療介護は外国人である私には出来ない分野のローズプリンセスポーリークリニック。ローズプリンセスケアギバートレーニングセンター。は医療免許が必要で、更にカルロス医師のように、医師の他に病院運営の免許や医薬品取扱免許、特殊医薬品(モルヒネ等)取扱免許が必要で、その上初期段階の患者を振り分けて専門医と一緒に対応するファミリーメヂスンの医師であり、出来ればジェロントロジー(廊下抑止)の博士号を持った人が必要だが、彼女はそのすべてを持ていた。彼女との出会いが無ければ、この計画そのものが無かった。ローズプリンセスケアギバートレーニングセンターは2000年の設立だが、それまでは私は多くの看護婦をカルロス医師の卒業大学USTから大量に日本に看護人として送っていたので、帰ってきた人を使う事で考えていたので考えていなかったが。その後医師会や看護協会の反対で封印されたので、仕方なくTESDA認可の介護学校であるローズプリンセスケアギバートレーニングセンターを彼女に頼んで設立してもらった。 今考えると走馬灯のように様々な事が思い出される。彼女の偉大な信念が天に召されても、私の心の中で生きている。有難う。有難う。有難う。貴方がNHK特集で言った「フィリピン人・日本人、国は違っても医療の質に違いはありません」は貴方の偉大な信念。


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