昔はアジア一番の街がマニラであった事を証明するこの映像

1938年のマニラ。1969年に私が最初にマニラに来た時も、道にはストリートチルドレンはいなかった。マニラはたった2日だけマニラホテルに滞在し、その語シンガポールへ行ったが、今でも覚えているが飛行機はコメットであったが、コメットは当時は英国の代表機で有ったが、事故率も高く、高高度飛行は出来ないので、まあすごく揺れた覚えがある。まああの揺れはその後の記憶では、稚内空港からYS11で東京に帰った時の揺れと同様だった(笑) シンガポールの後はベトナムのサイゴンにパンアメリカン航空で行った。サイゴン到着30分前から、両翼に米軍ファントムが護衛が付いていた。ベトナムは1973年1月29日にニクソン大統領の「ベトナム戦争の終結」までは行っていなかったが、米軍のカンボジア侵攻時、タイから南東に行ったカンボジア国境のチャンタブリーには良く仕事の関係で行っていた。昔はタイでの定宿はオリエンタルホテルで名前ど忘れだが、日本人女将には良くしてもらった。タイでは、ミャンマー国境の「戦場にかかる橋」で有名なカンチャナブリーにも良く仕事で行っていた。何方もルビー、サファイアの露天掘りで有名な場所である。

話は戻るが当時のアジアには仕事が無い、ましてやストリートチルドレンは存在しなかった。なのに今はどうなっているのか?

この続きのこのフィルムもご覧ください。https://youtu.be/R469aq0_Ia0


munetomo.club 棟朝淳州

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