結論:お金は最終的に人類を幸せに出来るのか

ここの所、この問題が私の頭にある。物々交換、そしてお金が国家と言う管理の元に始まり、その国家を巡り争いがあり、国家の頂点を目指して争いが起こる。我々がビジネスを考えるに、お金の計算無しにビジネスは無い。しかし世界は過去30年、フィリピンも含めて一般の所得はお金の上では増えていないが、そのお金で買える物は、フィリピンでは、たった過去6カ月で7%も上昇している。過去30年で考えてば、物の価格は2~3倍に成っている。最近値上げがあった庶民の足、ジプニーは9ペソから11ペソに成った。30年前は1ペソで有った。

では何故に日本は発展しているのだろうか? 「人類の為になり、幸せを作るもの」を作ろうとしているからだと思う。「お金が先」ではなく、この精神が有るからだと思う。

「お金」が先で作られたものは、寿命が無い。「安かろう悪かろう」日本は一時、この考えでモノを売り出したが、韓国、中国に敗れた。しかし結局、寿命が無い。「安かろう悪かろう」の発想は「お金が先」の考え方であるし、マネをする。コピーする。それを盗む。ではその人間、その国家は発展しない。その良い例が盗む、中国共産党であり、ただ買う、サウジアラビアの国家体質に現れ、人類である国民の人権を無視する。

最近思う事は、馬鹿だが「売上げ無し」「原価無し」のビジネス、これでは税金を貰って生息する国家は無くなる。そうした根源の部分から、もう一度「人類の幸せ」を考える「仙人」のように、歳をとって考えるようになった。


0コメント

  • 1000 / 1000