フィリピン人を教えるのは難しい。いや日本人でも、ここが肝心。

人を教えることは大変である。広く知識を持つ人、持たない人の差がはっきり行動や思想に現れる。ドラッカー博士のKnowledge worker 知識労働者。知識が豊富にあり、その知識から考察できる人の場合、社会個人主義者となり、知識が乏しく、考察が出来ない人はただの個人主義者となると分類している。前者の場合、世界を見て、社会を見る。そして会社を見て、家族を考え、そしてそれによって自分を考えられる人=社会個人主義者。と世界の事は興味がない、社会のことも考えたことがない、会社は給与もらうだけ、家族は大切でその中に自分がいる=個人主義者とう言う2者がいた場合。前者に教えることは容易いが、後者に教えることは、何処から教えたらよいか分からなくなる。フィリピン人は99%この後者になるが、フィリピンが居心地が良いと考える日本人の大部分もこの後者に近いと考えられる。ひきこもり等、知識を広げられる時に、その知識を閉ざしてしまった人には、フィリピン人と同じように教えることは難しい。この人達が同じ組織で仕事をする場合は、個人個人がバラバラに成ってしまい、組織は非効率的な組織となり、生み出す成果は無くなってしまう。組織は世界を考え、社会を考えられる人の集団に成った場合。100倍の力となる。

教えることは、その人の生い立ちにも影響される。また知識が少なく個人主義の人を組織に加えると、その組織は衰退する。途上国の政府が良い例である。日本の電機メーカーの衰退もそこに原因があったと結論つけられる。高度成長で誰でも入社させたつけである。

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