スマホは使うもので、使われるものではない。スマホ・ドーパミン依存症。

いやフィリピンでも片手にスマホを持って移動している姿が多い。私は何でも人より早く始めるので、今やスマホには興味がない。今のこの馬鹿な形態のスマホをもう買いたくもない。結局自分のそばに友だちが居て、おしゃべり感覚なのだろうが、いつも誰かと連絡し合うドーパミン依存症に近い。ご存知のようにドーパミンは脳の伝達の働きを活性化させる。アドレナリンやノルアドレナリンの分泌前のものですが、これにより脳に快感を与え、人を奮起させる事が出来ますが、逆に異常になりすぎると「脳内麻薬」に成ってしまいます。

心理学者アルフレッド・アドラーの言葉を借りれば、承認要求を捨てること。即ち安易にひと目(人の目が注目している)をスマホから簡単に入手して、何時でも人からの承認や認めて欲しいという欲求を満足させる。さらに言えば、人が作り出したゴールを自分のゴールの様に成ってしまう。例えばこうしなければお金も幸福も得られないとか。そして他者の評価に怯える。貴方の人生なのに、他者の期待を満足させる為の道具に自分がなってしまう。現在のスマホいやSNSやその他のアプリやゲームとはこうした危険性があると私は思っている。

心理学者アルフレッド・アドラーの結論同様に、人生は人との競争ではない。如何に貴方が満足するかである。故にそこに現れる「他者」は「仲間」であり、競争相手ではない。そしてその仲間に「貢献」することが必要である。スティーブ・ジョブズもはっきり言っている「人からの自分の承認は意味をなさない」。

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