日本人・外国人 雇用は雇用だ。そこには基準が必要。

なぜ私がこのレーダーチャートに拘るか。日本人・外国人 雇用は雇用だ。そこには基準が必要であると考えている。今や外国人でも日本人でも最低賃金法に基づき給与が支払われる。ただ人が足りないから外国人を雇うという今の制度では、単純労働の工場等では、あまり日本語習得は要求されず、介護職その他の専門分野では日本語習得が厳しい、しかし最低賃金は変わらない? また単純労働の工場等では、あまり優秀な外国人が入ってくると、日本人が嫉妬し、いじめに合う。これは介護職その他の専門分野でも同じ傾向が見られる。

しかし長年の日本の人で不足から、日本人の雇用に関しても仕方ないから採用しているケースもあり、雇用に対する基準が曖昧になっている。また日本の教育機関でも、雇用基準に達していると言う評価基準は持っていない。今の日本の教育機関はフィリピン同様にお金儲けマシンで、授業料を払ってくれれば、なんでも入学させる教育機関が増え、その教育をさせる以前の基準を満たす、その前の教育機関の基準も曖昧な、生き延び持たれ現象が蔓延している。

しかし私は「能力がある・無い」は教育であると私は信じている。しかし今の教育は教えてなんぼの世界で、教えたことをどう活用させるかの基本というか基準というかが欠如していると感じている。即ち最終的に雇用や起業する際に、どういう人間性に育てるか?またその基準はなにか? これは日本人・外国人関係がなく、社会人になる基準を作ることが必要と感じている。

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