最近よく眠れる。こんな人生は初めて。。。日本では20分昼寝が流行っている。

夜11時から朝7時半までよく眠れる。最近は総天然色長編の夢も見る。おかげで、頭はすっきり、自由業なので、今日本でも流行ってきている20分昼寝も始めるか(笑)しかしこうした休息は体内抗体も強め、最近のコロナウイルスにも効き目があるのでは。。

日本に居る頃は、1日1千万円の売上が必要で、50名の販売員でも1日一人20万円の売上が必要だったが、穴埋めの為に自分も多額のノルマを抱えていたので、全国を飛び回り、仕入れに世界を飛び回っていたので、夜は眠れず、何時でも片頭痛があった。しかしこの自転車操業は日本経済の崩壊(バブル崩壊)で崩れる心配もあり、それを更に増大させ、短気に怒る状態まで来ていた。会社を譲渡し気は楽になったが、脳梗塞の父親や認知症の叔母の介護は、自分が手を出さなかったので介護人を2名雇っていたが、その費用は月額60万円で、無職と成った自分には重荷だったので、いっそ自分で介護施設をやるかと思い、介護の勉強を始めて、当時まだ預け入れ金利が5.5%だったので、信託銀行と組み1億円の預託で介護をするケア8という施設の1号施設を湯河原に建設を始めていたが、バブル崩壊の予兆ともいえる金利の低下で預け入れ金利が一気に2.5%に下がり、信託銀行との協議で建設途上で有った建物を壊し、大きく買っていた土地の一部を売却したので、損失は無かった。

それから、世界中の介護可能国を調査、最終的に1986年にフィリピンに脳梗塞の父親や認知症の叔母を連れて移住し、2つのマンションを購入し二人の介護を開始したが、まだその時は二人の子供が、学習院と慶応の中高校生だったので、この費用を稼ぐことが次の問題であった。

しかし、当時フィリピンは全てが安く、マルコス政権後の自由な雰囲気もあり、フィリピンの第一期バブル期でなんでも上がっていたので、不動産や会員権のころがしで、こうした費用を補っていたし、レストランの開業、当時日本の工場が押しかけていたので、そうした工場への物資納品や社員食堂をやったりして、売り上げを伸ばしていった。フィリピンの第一期バブルの集大成として、マニラ・オルチィガス(東京で言うなら渋谷)にビル用地を購入したが、1年で3倍に価格が上昇したので、売却し1995年に、大望であった介護施設の建設に入った。しかし、脳梗塞の父親や認知症の叔母の二人でも頭が痛かったが、100名以上のお客様の相手をするのは大変で、結局それから10年間を施設に泊まらなくてはならない24時間365日の生活が始まった。

前にも言ったが、フィリピンの医療費高騰、物価高騰、それに対して日本の年金減少を受けて2009年募集と入居を辞めて、入居者の自然減を待ったが、しかし、この待つ10年間は、他の商売も難しく成り、わが人生で一番の窮地でもあった。その後2018年に今のトレーニングセンターをスタートし、2020年漸く目途が立ったという訳で、ようやくゆっくりと眠れるようだ。(笑)

だが来年、新たなビジネスに日本で挑戦する。熟睡をして、昼寝が出来るのは今だけか。。


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