私と長い歴史を持つ香港にはもう入国できない。歴史は終わった。

私は学生時代に5円のはがきとガリ版印刷で当時では無かったダイレクトメールでホテル催事を行っていたので、結構おこ使いには困らなかった。親からのお金も要らず車も自分で買っていた。しかし、儲かると思えば出しゃばって来るのが日本人。大掛かりに遣る奴も出て来たので、方向を変えて、香港無料招待に変更した。香港空港にはベンツのリムジンを2台用意して、ホテルはペニンシュラでお買い物ツアー。当然回る商店とは事前に打ち合わせでキャッシュバック。時計、宝石、毛皮その他で昼食と夕食も有名店でお食事。当時は有名店でも安かった、今ならお一人1万5千円の店が、当時は10人で円卓を囲んでも1万円足らずだった。これは結構当たった商売で、毎月香港に行っていた。しかし香港も段々変わって行った。50年前の香港は、店を軒並み歩いても飽きない。どの店にも変わったものがあり、俗に言う、掘り出し物が有った。だからそう言うものを買って、日本で売っても儲かった。しかし、今のモールと一緒で店は有れど、金太郎あめで何処に行っても同じものしか売っていない状況。それでは面白くない。その現象が40年前ごろから香港にも現れ、今なんかは正しく金太郎あめ。近年香港に買い物に行っている人の気持ちが知れない。40年前に成って香港に会社を作り、それをベースに中国本土に行っていたが、共産党中国、規制規制で面白くなかった。フィリピンには35年前、この香港の東京銀行から投資しを始めた。前にも言ったが当時の東京銀行の出資先であるフィリピナス銀行に口座を開いた。その後こ゚の銀行はプルデンシャル銀行に身売り、そしてその銀行もBPIに身売りしたので、BPIが現在と成る。

この38条でもう香港には行けない、いや行きたくない。日本人も早く逃げた方が良い。

この法律は裁判所は関係ないと明記している。判断は中国共産党のみ。。(笑)

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