フィリピンはやっと気付いた。私が2年前から準備していた。私の最後の御恩返しプラン。

フィリピンDTI(フィリピン通産省)ビルに横断幕。「フィリピン地元製品を買おう」。当然の事だが、過去20年間に、中国によって、コトゴトク潰されている。中国は安い鉄鋼を輸出し、まずフィリピンの鉄鋼産業を潰し、製鉄所はフィリピンから消えた。それから、あらゆる産業を同じ手段で安い製品を送り、その産業が潰れると、独壇場になれば価格を上げてくる。故に今になって「フィリピン地元製品を買おう」は既に遅い。買う物が無いのである。私はその事とを懸念して、「Buy Philippines」を2年前から準備して、フィリピン製品を売るサイトを作り、フィリピン製品の育成を考えて来た。勿論、私の力では何の役にも立たないが、一つの目標として考えて来た。紙は無い。プラスチックは無い。鉄骨は無い。アルミニュームも無い。再生工場も無い。と言う現実の前に何が作れるのか? 木があるではないか、しかし戦後復興期に日本が木材を必要としていたので、当時のマルコスと丸紅が組んで、丸裸になるまで木材を日本に送ったので、その後、島から島への木材の輸送禁止令により、フィリピン国内の木材製品ですら、中国依存である。セメント、フィリピン、セメント協議会が死守していたセメントの国内生産高は、現状下がっていて、これも中国依存である。繊維産業も私が来た35年前は、繊維を織っていたし、絹の生産も有ったし、染色工場も多くあった。しかし、今はどうであろうか?本来なら、違法である中古衣料の輸入。しかし、密輸や不法通関で中国古着屋が、幅を利かせ、今や中国中古衣料無しでは、フィリピン人は裸で生活せざるを得ない状況まで来ている。日本でも中古では無いが、中国衣料の依存度は高い。
そうした状況で、フィリピンで目の前にある物で、フィリピン製のモノは殆ど無い。これで Buy Local は遅過ぎた春である。これから、出来るものから、一つ一つ作り上げて行くしか無い。どうしたら良いのであろうか。だから片足日本に戻らないと行けない状況である。日本で何かを見つけて、これならフィリピンでも作れるという確信から、それを持ってくるしか無い。それをフィリピンで作るしか無い。悲しい現実である。昔は自動車産業も有った国なのに。。。

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