今までフィリピンで28軒の家を建てたが、自分の為の一戸建ての家は一つも建てなかった。

日本人村構想は誰しも描くものだが、私はそれを最初に現実化させたが、しかし、最初にその発想は駄目だと悟った事になった。1995年に建て始めた医療介護施設、医者もある程度の医療機器と看護婦、そして24時間介護付きで、更に施設内の診療費や日本食まで付いて、月額費用が12万円と言う価格で募集を始め、最初の1年は1名ー2名のお客であったが、2年目からは、マスコミで有名になり、NHKの1時間の特番で紹介されたり、新聞の1面トップも3回出たりで、それからの5年間は年間500名以上の来客者で、毎日2便の空港送迎をしていた。その内、自分は元気で、自由に自炊をしたいと言う要望が出されて、一軒家を作る様になった、土地も建設も当社が行い、約月額2万円の家賃とプラス、電気水道代は当社が検診して当社に支払い、当社が全て代行で支払う形にした。その上、当社に2万円の10年分の240万円を前納すれば、10年以降の家賃は無料で、その上、体が不自由になったら、当社の介護施設に移動出来る事を条件にした。これによって、こうした100平米の土地に60平米の家をある程度ご意見を聴いて作り始めた。引渡しとしてはC工事まで当社が責任を取る、C工事とは、床壁天井も作り、台所、トイレ、浴室まで作る、今の一般的建築物で、家具や設置は別料金だが、当社の社員が購入のお手伝いから設置での問題解決も全て行った。工期は2ヶ月で、その間は介護施設での宿泊も可能としたので、1999年から同一ビレッジ内に併せて28軒を建設した。しかし、私の家は作らなかった。中には家賃を上げても良いからと、3LDKや敷地を200平方の土地にした家も登場した。そうした家が10年経ち、20年経って、現在でも5世帯だ住んでおられるが、先日の82歳の女性を襲った強盗殺人事件で、今は4世帯が残っている。当社としては空いた24軒を、一軒一軒リノベーションを行い、現地の方も含めて、賃貸に回しているが、賃貸価格は1999年と同じ一軒2万円が基準である。
フィリピン日本人村の一番の問題点は、前にも言ったマカチィからうちまでの高速道路料金が片道30円が500円に上がったのと同じ様に、一番の問題点はは医療費の高騰で、昔は10万円の手術代が100万円以上になっており、これに対する保険がない事、有るのだが年齢制限や保険料そのものが高額であったりで、日本の年金や預金がしぼむ中で、前にも言った、食材費の高騰やその他電気代に至るまで日本より物価が高いと言う現状では、フィリピン安いと言うメリットが、全く無くなったからで、幾ら人件費が安いと言っても、日本でもあるが、患者のお金をくすねるなどの問題は増幅すると考えられる。こうしたリスクを抱えて事業継続は無理と思い、12年前から、新規入居をお断りして、現在の施設転換を図ってきた。その12年前には、2名の方は、国民年金であったので、手持ち資金が無くなり、日本側の親戚も高齢化で連絡も取れず、と言って日本大使館前に捨てて来る訳にも行かず、医療費、食事、最後の葬儀代まで当社で負担していた現実もある。今もうちの施設では、年金が多い方なので、お二人は介護を行なっている。歴史ですね。経産省のシルバーコロンビア計画を具現化して来たが、やはり無理がある。私の当初構想の沖縄米軍基地を特区にして、日本中や世界から高齢者を集めて、介護パラダイスを作りたいと思ってのフィリピンでの実験だったが、地域縄張り意識が高い医師会も反対するであろうし、様々だが、中国人の高齢者を預かっていれば、中国も攻めてこない、絶対安全保障となると思っていたが。。それで何度も沖縄に足を運んだが。。。。

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