フィリピンから歌が無くなったら、何が残るのか? 

私は昔のフィリピンが好きだ。何故か、街の全てに歌が溢れていた。家賃も安い、食材も安い、客数と飲食店のバランスが良くてどの店も賑わっていた。ペソも高く、ヨーロッパからのワインその他も安かった。故に、どのレストランでも、大抵、歌手が入っていた。街は歌で溢れていた。特にホテルでは、六本木の高級クラブでも見かける本当に上手い、グループ8人編成が日替わりで出演して、ホテルのワイングラス80ペソでそれを楽しめた。だから私は何時も毎晩、お気に入りのレストランで歌を聴く、ジャズであったり、フュージョンであったり。。、それを楽しんでからホテルに行き、今は無いインターコンチネンタルやマンダリンで、素晴らしい音楽を聴き時を過ごして、それから踊りに行く。踊る所も沢山あった。その他の選択では、当時日本では下火になった、大型キャバレーが多くあり、女の子が500名、舞台の上には何時でも3つ以上のグループバンドがいて、素晴らしい光景だった。別に女の子を選ばなくても、何か飲んでいれば楽しめた。フィリピンに来て最初の5年間は、欠かさず365日歌を聴いて過ごした。しかし、ペソも下がり、物価も上がり、レストランやホテルに歌を維持する金が無くなり、今ではシャングリラホテルですら、高い飲み物や飲食でこのレベルの歌かと思える状態。私が3つやっていたレストランの1つでは、歌手を夜には入れていた。先輩のご厚意で日本からバイオリニストにも演奏してもらった事もあった。写真右下。こんな事もあり、様々な歌手とは顔見知りである。とは言え、辞めて既に12年、今レストランをやっている人はお気の毒としか言えないが、未だに付き合いがある歌手が何人かいる。
女性歌手のステラやこの写真にいる。プーヤット。この彼のお爺さんは、マカチィの大通の名前に成っているヒル、プーヤット上院議員で、次世代は多くの金融、保険、不動産分野で活躍されている。彼はUP大学出で,彼とは長い付き合いで、従兄弟など共に付き合いがある。パンデミック前は彼は週に2回程コンサートを行っていたので、出来る限り参加していた。今は仕方ないので彼は我々を招待せずに、フェースブックのライブでの参加を促しているので、毎回ライブ配信を呑みながら楽しんでいる。しkっし、フィリピンから音楽が無くなったら、私にとって、もはやフィリピンでは無い。何でこんな時代になったのか。これは全て物価高で 芸術を擁護出来ない状況になったからだ。

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