これは進化なのか後退なのか。35年のフィリピン様変わり。

私が来た1986年、35年前である。当時は街を走る車は、キューバのようにアメリカ車では無く日本車の中古が主流で、新車を見かけることは
稀であり、タクシーにはエアコンが無く、いすゞのジェミニの古い形が多く、それもボロボロで、中には床に穴が空いているので、雨の日には床上浸水となった。しかし価格は100ペソ 今は200円だが当時の円換算では600円で6時間は自由に使えた。だから来た当時は、日本の中古車がべらぼうに高いので、クシーを貸し切って使っていた。当時は日本の自動車会社の販売店は無く、トヨタは三井物産、日産は丸紅、日商岩井がなんだか忘れたが、商社が日本の車を仕切っていた。フィリピン富裕層は殆どがベンツを使っていた。前に私がベンツに乗っていたのも、フィリピンは日本車の次にベンツなので、パーツも多く修理しやすかった事もあった。フィリピンに来て驚いた事は、当時タイやベトナムでは小型オートバイが主流で、オートバイの中をタクシーがぬって
走る様だったが、フィリピンには、ぺデイキャブと言うオートバイにサイドカーを付けた乗り物以外は個人使用のオートバイを見たことが無かった。
当時個人使用のオートバイと言えば、ハーレーダビットソンに乗った金持ち。ハーレーダビットソンクラブも存在していた。庶民は1ペソで乗れるジプニーで充分用が足りていた。ジプニーも今は10倍の価格の10ペソだが、交通渋滞の多いマニラでは、本来この価格ではやって行けない。それを上の人間が利用して、ジプニーの自然消滅を狙っているが、庶民の給与が20年上がらないフィリピンでは、矛盾を生んでいる。電車やましては地下鉄では価格が10ペソでは乗れない。庶民は時間より価格が問題だと考える。BGCに通う一般庶民の社員は時間がかかり、遠まわりでもジプニーを使い、本来ならBGC内を周遊するバスに乗れば良いが、それも高いので避けて、結構、遠くから歩いて来る。
こうした現状の中10年位に、中国が安いオートバイを売り出し、一気に火が付いたのが、個人使用の小型オートバイ。日本は出遅れたが、そこは中国製。特フィリピンを馬鹿にしている中国、日本に送る中国製とフィリピンに送る物とは全く違う。故に安いが故障が続出、しかし整備が出来ない中国製。しかし、気づいたホンダ、カワサキ、ヤマハは元々整備網を持っている。ローンや価格設定を見直し、猛攻撃、2年で中国製をほぼ駆逐したが、これが更にフィリピンにおける個人使用のオートバイを一気に押し上げた。30年前のタイに逆戻りで、ハエと言ううっといしいものが道に溢れて出て来た。
自動車運転者としては困った問題だ。フィリピン神風が増えた状況だ。その上、通勤費を払えない人口増加で、オートバイは買えないし、ガソリン代も払えない人の自転車使用の増加。そんな状況を想定していないフィリピン道路交通法。自動車専用道路にもバイクと自転車が溢れている。どうするのかね。

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