果たせぬ夢で終わった介護施設

1985年神奈川県にケア8という、今で言う、ケアハウスの前進を無謀にも建て始めたが、日本バブル崩壊の前夜祭でもある、急激な金利低下に会い、信託に預けた金利5.5%をベースに入居者を募集すると考えていたいたが、当時は介護保険も無く、月額費用の一人45万円の費用は回収は不可能と考えて、建設途上で有ったが、辞めた経緯がある。そして人件費の安い海外へと目が移り、最終的には中国海南島の三亜とマニラを選考していたが、結局マニラに決定した。決定理由は入国者のビザ問題と土地不動産取得権の2つであった。フィリピンには当時から退職者ビザと言うものが存在し、75,000ドルか50,000ドルの銀行預け入れで永住ビザを発行していた。(現在は2万ドル)土地不動産に関しては中国は外国人には権利が全く無い。しかしフィリピンは6:4で4割りは外国人所有が認められる。これをベースに会社設立や株主問題、担保問題で解決できると判断した。

当時バブルで有ったマニラで10年に及ぶ土地ころがしの末に、マニラから約30分のこの地に介護施設を建て始めた。ご覧のように何もない原っぱで、高速道路からの道もまだ舗装もされていなかった。しかし今はこんなに多くの建物がと思うほど建って、歩いて国道に出ると、そこには大きなバスターイナルも出来て15分ごとにマニラと結ぶバスが出ている。

その後10年この1号ビルは完成し、第二号棟の建設も進めていたが、フィリピンの諸物価高騰、医療費高騰でこれ以上無理な経営(基本医療+食事+1対1の24時間介護人の付き添いで月12万円)が出来ないと判断し、2007年以降、新規募集停止、入居者の自然減を待つ体制に切り替えた。2018年1月。ドイツ語、日本語、その他香港や中東行き研修センターとしての、総合アカデミーセンターとして再出発を始めるしかなかった。30年以上の研究でもあったが、果たせぬ夢で終わった介護施設となった。

munetomo.club 棟朝淳州

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