酒とバラの日々の人生
酒は好きで、日本に居たころの仕事柄全国酌まなく酒を楽しみ、食を楽しんだ365日x48年 17,520日 1日も欠かさず呑み続けている。 一体幾ら使ったのか? 日本時代は年間280日出張でホテル住まい。東京に帰れば接待・接待で家で食事するのは年に10日。赤坂では小唄を習い、芸子組合のお手伝いをして、顔を売り、料亭接待の日々、銀座に店を出し、銀実会のメンバーになり一流クラブでの接待。(メンバー特典あり) まあ一般人があまり行かないので地方からのお客様には好評でお声が多くかかるし、翌月の売り上げも上がる。良く食べたし良く呑んだ。こんな生活で、日本では一回もフィリピンパブには行った事がなかった。その上ロータリークラブもあり宴会宴会の毎日。節約をしようと、まあ、節約も出来なかったが、赤坂にレストランやクラブまで出していた。赤坂はサントリーのお膝元だが、地元最強酒屋と組み、協和発酵からTHE AKASAKAというウイスキーも作った。故に私のクラブの名はTHE AKASAKAとしたが、その後買ってくれるという人が現れて簡単に売った。(笑)
1986年、接待は無いという事でフィリピンに来たが、最初の5年はカラオケ三昧。1日5軒はしごを確実に実行していた。(笑) 此方でのロータリークラブのパーティやらフランス商工会の会合やらに出ている内に、ワイン・アンド・フード・ソサエチィに入会。その頃、月桂冠さんがフィリピン輸入卸元を探しているとの事で、此方のお酒輸入販売業者を紹介したり、自分で遣っていたレストランでワイン・アンド・フード・ソサエチィの会員70名に、ワインも造醸でお酒も造醸なので同じワイン、その8種類の紹介と日本食を提供したりしていた。またはフィリピン最大の洋酒業者が集まるグランド・ワインに行ったり、毎日お酒が切れる日が無く今日まで来ている。最近は昔ほど外で飲んだりはしなくなったが、自炊で晩酌は欠かさずで、焼酎なら2日で一本は呑む。(笑)
わが人生、一体幾らの酒税を払ったのか? 税務署から感謝状が欲しい。
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