3つ目事務所の最初のイベント

前にも話したが、家賃の高いマニラで如何に飲食店を成功させるか?その為には造作やキッチンにお金を掛けない事。営業人員を最小限にする事、と言う目的にあった飲食店は小料理屋であると結論付けした。しかし小料理屋の女将は、人と話せる。フィリピンだから英語が喋れる。愛想が良い。料理が上手い。そして日本人でなければ同時多発的な処理能力が無いので、日本人というかなり厳しい人選が必要だが、ここに一人候補者が居た。外資系銀行に勤めるお若いお嬢様。英語堪能、料理が出来る。愛想が良い。そしてこの小料理屋構想に興味を持って貰ったので、早速、小料理屋に出資しても良いと言う方を集めて、彼女の手料理で最初の打ち合わせをした。小料理屋オープン実験室。

この彼女は大したものだ。この料理をさっと作れる。家庭用道具で作る料理、キッチンに金は掛からない。ただ器やその他にはちょっと凝るが、それだけだ。

この実験室、道場の名は少庵と名付けた。私が最初にマカチィ通りで1992年に開き、家賃交渉で追い出しに会い、その後マンダリンオリエンタル内で日本食、40対60で4割ホテル側に渡していたが、マネージャーが変わり6割ホテルに渡せとなり、支払いも悪かったので1998年に辞めた。その後1999年リトル東京を設立、当初二年間、甘味処少庵として遣って、その名を閉じた経緯。

私自身は既に自分で商売する気は毛頭ない。飲食は現在やっている学生寮で1日600食、拡大するから1200食を早く軌道に乗せ、2020年には売却して早く自由になりたい。(笑)

munetomo.club 棟朝淳州

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