30年前のマニラは天国、今は地獄

昨夜は2名の新人スタッフの入社をお祝いして、ストラムスのステージ前を占領して歓迎会。最初はおとなしく聞いていたが、盛りあがってくると、前からいる社員がステージに飛び乗って踊ってる。

私はサクソフォーンやトランペットが混じる演奏が好きだ。しかし、今はそうしたバンドが入る店はここストラムスしか無くなった。ハードロックカフェも潰れ、他も消え失せた。今エルミタにあるカーボーイグリルは、そうした演奏家が演奏する場所を失い溢れて来たころの15年前にラグーナから発症したが、その後勢いついて多店化したが、殆どが今は潰れた。

32年前私が来た頃は、町に音楽が溢れていた。そして今と違い、全てが高品質で安かった。当時の私の一日の夕方、まだグリーンベルト1しかなく、今でもある教会の周りには多くのレストランがあったが、皆優雅でサマセットモームの小説の世界だった。好きだった英国パブやドイツ料理店、それとアメリカ南部の味ニューオーリンズ、ここでは食事しながらジャズ演奏が楽しめた。そこで食事をして8時から9時にはインターコンチホテルかマンダリンホテルのロビー横バーで昨夜のストラムス同様のステージを楽しみ、その後カラオケバー、しかし当時のカラオケバーはピアノバーで歌手もいた。そして12時を回ったころ、ペニンシュラホテル横のRJロックンロール、RJはラモン ハシントの略でお父さんは駐日大使も遣り、六本木に当時土地もあり、大きな製鉄所のオーナーでもあった。しかしその後兄弟姉妹はチリジリになり、彼だけが今でもケーブルテレビ局やラジオ放送局を持っている。一昨年彼のラジオ放送局で1時間トークに招かれてやった。(笑) 今はデュシットホテル、昔の日航マニラガーデン地下で小さくやっている。話は戻って当時のRJロックンロールは12時過ぎると有名人が集まり熱狂する場所で有ったので、大変楽しめた。それに安かった。音楽を聴いての優雅な食事が1000円、ホテルバーでのグラスワインが一杯200円、ビールは100円、ピアノバーが500円、女の子ドリンクが100円、RJの入場料及びドリンクが500円。こんなに一晩楽しんで5千円は使えない。たまにロハスブルーバードに遠征し、当時道沿いに多くあったキャバレー、昔の日本のミカド同様に大箱で女の子は何百人といる。しかしその大ステージで広がるショーはラスベガスのショーを彷彿していた。しかしそこで飲んで楽しんで2000円。

昔はマニラ良い所、一度はおいでと言えたが、今は不味い、高い、おもてなしが全くないマニラには来るなと言い切れる。。。昔を知らない人には良いのかもしれないが。。。

0コメント

  • 1000 / 1000