超長命 人生150歳。祖父の考えた事。

祖父、父、私は一回もサラリーマンは遣っていない。ベットや金庫を軍に売っていた祖父。と同時に電気製品も作っていたようだ。写真の着物夫人の絵は、当時の電気治療機器「自らの魂」の広告用のポスターだ。テレビも何もない時代では、ポスターや看板以外に商品を広める手段は無かったのだろう。うちの父も色んな事を遣っていた。彼は東京駅名店街や新宿住友ビル商店街にも絡んで役員もしていた。多分彼は出来たら今で言うモールを作りたかったのでは無いだろうか。私も血は争えない。フィリピン33年間、本業ともいえる不動産賃貸業、その利用法でも老人介護施設を起ち上げたが、縫製業も遣った。工場やその他に制服を卸す事から、その関係から社食も始め、1992年には寿司懐石料理店、マンダリンオリエンタル内日本食、リトル東京では甘味コーヒー店、その後和食店を何店か持ち、焼き鳥屋、ラーメン卸売り等々と本業の片手間に遣っていた。今は隠居仕事で介護施設後の施設を海外向け研修生の教育施設として細々と遣っているのと、弁護士のパートナーと成り、余り刑法はやら無いのだが、会社の設立運営やその他の相談事をやっている。固定客も5年で30軒出来た。日本企業もあるがインド企業、アメリカ、英国企業、最近はロシア企業もあり面白い。

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