「心神の夢想」こそ私の命、私のビジネス。

33年前1986年、一人で降りたったマニラ、今2018年、お金の苦労、人の苦労、様々な決断、32年は長い。しかし今新たな「心神の夢想」を始めた。

35年から今までこの「心神の夢想」無くして、この苦労は乗り越えられなかった。即ち私の命、私のビジネス。今までの生計を立てていた事を排除し、新天地で一人からスタートする不安、不案内、努力を払拭する原動力。人の心をつかむ原動力がこの「心神の夢想」であると思っている。

35年前の私の「心神の夢想」は当時バブル絶頂期。しかし私にはバブル崩壊は見えていた。少子高齢化消費の鈍化、人手不足。年金の凝縮、世界中で始まる高齢化。そこで世界を見渡し、当初からの日本の将来の準備を何処でするのか?どうするのが最終落下地点なのか?「心神の夢想」が始まり、私の場合は世界30カ国位しか知らなかったが、フィリピンマニラに一人降り立った。当時の私の「心神の夢想」は、人件費や物価の安いフィリピンで介護施設を作り、老後の資金が無い人を預かりながら、フィリピン人介護人を育てて、最終的には沖縄 普天間基地跡を特区にして、世界から老人のユートピアを構築する。そうすれば安全保障上、自国の老人を預かって貰っている、沖縄を攻める国は無くなると考えた「心神の夢想」で、ではそれを実現可能に出来る為には、何か、しかし何のつてが有る訳でもなかった。たった一人からのスタート。しかし沖縄には良く行った、当時の名護市長にもお目にかかった。

しかし全く今の政治家や行政には「心神の夢想」が無い。住民が危ない、騒音問題から普天間を移設するのでは無く、普天間跡地を何に使い、何を目的とするかが語れなければ、住民の納得は得られない。それが語られれば、今のような反対運動は一瞬に消える。全国民も納得できる。まあしかし、私のこの「心神の夢想」は前から言っているが、フィリピン自体の問題と日本の政治で私の中では終わった。

今は新たな私の「心神の夢想」が始まっっている。2020年度中に着工を考えて年末時間を作ってこの見たことも無い現地を一人視察することにしている。今回の「心神の夢想」の地は日本国内。また私の魂が燃えて来た。30年はかかる100歳まで生きないと。。。以下は1997年のNHK 特集 終のすみかはどこに。1時間番組の抜粋版。現在の施設を作り始めた当初で今は2号棟と22軒の戸建て棟まである。マカチィから45分の場所にある。

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