例え電車が有っても、電車賃にも事欠き、余分なお金を持てない所に市場はない。

旋回、日本に帰った時に東京の中野で友人と夕食を食べた。中学生の時にはその友人とよく中野ブロードウェイで遊んだもんだ。幼いときだが、一回高円寺に住んだことが有る。まだ中央線が高架になる前で、駅前はジャリで、輪タクが多く止まっていた頃だ。ガマの油売りやちんどん屋が行き来していた。しかし当時から阿佐ヶ谷、高円寺、中野と商店街が旺盛であった。まあこれは東京という世界一の電車、地下鉄網があり、国民所得がまあそこそこあるから、こうした広がりが出来、銀座赤坂では家賃が高いが、ここまで来ると少し安く、しかし人はいるので、安い分だけ様々な商売の冒険ができる。またその冒険を楽しみに客が来る。最近は外国人にも、知られ多く来るようだ。

私は今のBGCに移る前、マカチィに28年住んでいた。私が来た頃はまだグリーンベルト1を作っていた。勿論グロリエッタは無く、SM、ランドマーク、グリーンベルト1しか無く、真ん中にある教会の周りは2階建てのレストラン街で有った。グリーンベルトの先がレダスピでそこには大体8階建てのオフィス街であった。サルセドにはまだ数えるほどのマンションが建っているだけだった。ホテルは日航マニラガーデン(今のデュシット)、インターコンチネンタル(今は無き)、マンダリン(今は無き)とペニンシュラしか無かった。しかし街は音楽に溢れ、南国情緒たっぷりのものであった。とは言っても一日8時間以上の停電で、発電機の騒音も激しかった。当時は空港跡地(マカチィ)の開発業者のアヤラ・コードという物があり、アヤラが許可した商業地以外にはレストランや商店を作ることが禁じられていたので、マンションやオフィスビル街には店がなく、不便でもあった。

そして30年が経ち今があるのだが、今度は店やレストランの出来過ぎで、しかし日本のように電車で楽に行き、中野等の様に家賃が安い分楽しめる店を作っても、国民の98%がその電車賃にも困っている現状、フィリピンに中野のような事は起きない。マカチィのモールでの出店は家賃坪あたり1万円+10%と東京以上であり、マカチィの裏道で坪6千円、しかし物価が日本より高いマニラ、安いのは20年間変わらない従業員の給与だけ、私の経験則では坪3千円以上の場所での飲食物販は危険である。即ちマカチィでの商売は既に金儲けでは無く、趣味でお金を損することにしかならない。

munetomo.club 棟朝淳州

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