時の流れは早い。2000年~2004年まで

1996年からスタートしたマニラでの老人介護事業だが、2000年には絶頂期を迎えていた。しかしその後2009年には、事業の将来性を失い、入居者の募集を辞め、入居者の自然減を10年間待つ事態になろうとは、夢にも思わなかった時代である。施設内では入居者が増えて、それに伴い介護人やその他の従業員数も増えて行き、時折従業員によるイベントやら地域住民を集めたイベントなどを行っていた。まあ入居者の退屈しのぎの意味合いが多かったが、この時期が一番のピークであった。日本の年金が裕福であったこの時代。人々の預貯金率が高かったこの時代。当時のアロヨ大統領時代のPRAフィリピン退職者庁や厚生省その他が軸になり、作られた下部組織のフィリピン退職委員会、私も理事をさせて頂き、まずは日本への視察、退職者誘致団を組み、日本に2回行った。当時の参議院議員の厚生労働に強い去中村議員を訪ね議員会館に行ったり、フィリピン大使館、大手企業年金部などやPRAの日本でのエージェント作り集会を行ったり、とフィリピン退職者天国となる大きな夢を見た時でもある。

それが、今や私に言わせれば「フィリピン来なくて良い」とまでに成ってしまった。昔は「何も聞くな、悩むな。フィリピンは安い」の一言だったが、それが物価は日本より高い、医療費はキチガイの様に高い、家賃その他も高い。しかし汚い、不便、危険と三拍子揃っている。そして日本の年金の落ち込みと預貯金の低下で、何も知らない日本の老人が来たら、ストリート老人の山になる。

ビジネスの流れで20年間同じことが通じるときは終わった。

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