時の流れは早い。1996年から1999年のフィリピン人生最高の時の思い出。
まあこの時が我がフィリピンでの人生最高の時だったと言える。念願の介護施設が立ち上がり、日本人の入居者も増えて、餅つき大会、日本人会ラ・メールさんによるコーラス、日本人に依る日本舞踊、地元小学生に依る歌やダンスと日本人入居者がまだまだ元気で、今後来る寝たきりや死を考えなくて良い、笑顔が満ちた日々であった。
またフィリピン初の施設でもあり、多くのフィリピン財界人も訪問され、中にはヘリで来られる方もいた。
開いた寿司懐石の少庵もマカティ通リは、地上げされて追い出されたので、今は無いが、マンダリン・オリエンタルホテルの日本食を担当するようになり、当時はマカティの3大ミュージック・エンターテイメント場として、このマンダリンのキャプテンズバー、今は無きインターコンチネンタルホテル1階のバー、またこれも今は無きペニンシュラホテル横のオリンピアの中地下にあったRJ(ラモン・ハシント)ロックンロールであったが、これら夜の音楽の世界を満喫していたのも、この頃である。今リトル東京付近に密集する日本人向けカラオケも当時はマカティ通リ、ブルゴス付近に多く有ったので、まさしく音楽、酒、バラの世界を楽しんだ時でもある。その後1999年、当時の建築の木戸さん、フジマートの島田さんと私が組み、今のリトル東京を設立が出来た。うちはリトル東京内に甘味処 少庵を出した。年齢、状況とも我がフィリピンでの人生最高の時だったと言える。😂
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