日本人は桜を見て何かを始め、終わらせる。しかし世界に桜は無かったのだ。
日本人にとって入学式は桜の木の下でという概念が根強く残っている。私もそうだ。しかし、留学と成ると私もそうだったし、息子や娘もそうだったが、4月入学と言う概念は、日本だけで、世界の9月入学という差に悩まされて来た。又海外から日本の学校を目指す人もこの問題は、空白の時間を余儀なくされる。故に日本ではなんとか「国際」学校が多くあるが、「国際」何てことは日本には無い、今、この武漢肺炎で4月入学が実行できず、いっその事、日本も9月入学に切り替えるかという論議が始まっている。歴史を考えると、江戸時代に子どもたちの学びの場所となっていた寺子屋、藩校、私塾、などは、入学時期はとくに決まっておらず、いつでも入学が許されていて、その後、日本に西洋化をもたらした明治維新によって、明治時代のはじめころから、西洋にならって9月入学が主流になったが、しかし、その後、富国強兵政策の影響から、政府の会計年度が4~3月になったことや、軍隊の入隊届開始が4月になったことによって、小学校や師範学校の入学時期も4月へと変わって来た。こうした歴史を考えると、日本の歴史の中に9月入学があったが、その後の大和魂的な要素から、世界基準から日本が逸脱した事が、今まで続いていたのだと解る。
だからこの論議は、単純に 明治維新の精神に戻るか、富国強兵政策の影響のままでいるのか?という論議に成る。だとするならば、「国際」をもっと受け入れたい学校、日本の垣根を超えて「国際」で学びたいと言う人、観光で有れ何であれ、外国人を増やしたい日本政府に取って、9月始業は、馬鹿のように出来過ぎた地方の学校が赤字垂れ流しで、補助金で生きているより面白いのかもしれない。しかしカナダの学校の様に中国人で埋め尽くされては言語道断だが、国別制限をかける事で、本来の「国際」が日本の中に出来たとすれば面白い。
いやフィリピンだって裕福な奴は沢山いるが、日本を留学先にしないのは、日本が問題だからだ。1)入学時期が違うので、7月に卒業しても、日本の4月まで待たなければいけない。2)日本の学校の英語能力が低すぎる。と問題がある。
私は1998年までは、フィリピン人正規看護婦を日本の特養に送っていた。当時は日本語がどうだとか何も無かったが、しかし1998年医師会・看護協会の圧力で、その道は閉ざされ、その後多分、笹川財団と組み、今の日本財団が海外での日本語検定などを担当している仕組みが作られたのが今までの推移と考えている。今の武漢肺炎の検査を一般民間企業に検査は任せられないという、国民の感情操作がうまく、国会議員も頭が上がらない医師会の力、コムスン等、民間介護のビジネス化を押し倒した看護協会の力。故に国民から集めた30兆円を握る力は凄いが、医療改革はほど遠い。まあ私はこのドロドロした世界からは足を洗ったのだが、、随分お世話になったコムスンの防衛大卒の折口社長、今どうしているかな、随分悪者にされて。。。
私は日本語を教えずに特養に送ったが彼女達は本当の知識を持ったフィリピン看護婦、私はフィリピン医療の殿堂UST(セントトーマス大学)の優秀な看護婦、トップテンは全てアメリカに持って行かれるが、そうした看護婦を送っていたが、特養さんには感謝された。「介護人としての知識が日本人より豊富で、日本の介護人と違って助かる」これが看護協会が反発した部分なのかも知れない。そして私は何時もこう言っていた「良かったね、おじいちゃん、おばあちゃんが英語を習う機会が出来て孫にも英語を教えられる」とね。写真は当時(1995)、私が送っていた看護婦が、日本の特養で介護人として働く姿。この二人は現在ロンドン在住。
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