私の投稿は自分が考えた事、論理で解釈した事を書いている。フィリピンの事(日常)だけ書いていたら愚痴にしか成らない。(笑)

これもフィリピンに来て、痛い目に合ったからこその考え方に成ったのだと思う。だから、そうした考え方に成らないで、「フィリピン人の気持ち」なんて言って、自分を誤魔化している人には、私の投稿は解らないかもしれない。

フィリピン人が「大丈夫」と言ったとしよう。何割の確率で「大丈夫か」? 35年前40%、20年前30%、今10%。結局この「大丈夫」の裏を取る必要性があるが、本人に聞いて言って居る事が確かか、そのプロセスを順番に行ってみろ?と聞かないといけないし、それには言葉が要る。35年前はフィリピン人の90%は英語を良く理解していた。今は70%以上が英語は出来ない。残りの30%の中でも、英語をちゃんと読んで理解する人は2%、しかしその2%の人でも、フィリピンの血がどうしても物事を歪曲する。これが前提だが、フィリピンに住む日本人の中には「ああ、こいつに任せたから大丈夫」と言う人をよく見かけるが、では「貴方はその大丈夫のプロセスが如何行われるのか知っているのか」「いや知らないよ、あいつが大丈夫と言ってるから。。」この段階で私はこの人との付き合いは距離を置こうと思う。まず言える事は、なんでも自分で遣ってみる。そうすれば何が問題か見えてくる。だからその作業を人にも頼める。その勉強無くしてフィリピン人を顎で使うとは100年早い(笑)。故にだれかフィリピン女性を見つけて、ネンゴロに成って、そいつに自分の代役をさせる。ここからして間違いなのだが、それ以外に方法が無い。悲しい日本人の現実だ。俺の人生面倒見てくれるか?「大丈夫!」の返事の確率は今や10%だ。「大丈夫!」私があんたのお金全部取って、取り終えたら若い男と逃げるさ。。。

まあ人生様々だが、そこにある論理を理解して、自分で考えて、実行に移すには、自分で遣った経験やそれを元にした知識の探求が必要となる。ではその知識探求や論理はフィリピンに存在するのか? 70%が英語が出来ない、28%が英語が出来ても読解力が無い この人達に求める事自体が間違っている。

このウイルスにしても同様、日本でも最近の感染は若い世代、そして接待風俗、即ち知識探求や論理はそこには無い。偶に日本で女子大生クラブ等に誘われて行くが、話に成らない無知さに驚かされる。しかし、それに群がる客も同じと言う事に成る。フィリピ―ナとそうした日本女性やホスト遣る人を比較するわけでは無いが、日本人ならアメリカが何処にあるかは知っているが、フィリピ―ナで2%は除くが、アメリカが何処にあるかも知らない。

愚痴っても仕方ないが、35年前は努力しようと言う気に成ったが、今は努力=「女」の「又」に「力」も考えられない。

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