ああ又こんなに差が出来た。日本からフィリピン2隻、ベトナム6隻の巡視船。

日本のODAによってフィリピン沿岸警備隊(PCG)向け大型巡視船(94メートル級)2隻を提供する。同じく日本のODAによって、ベトナム沿岸警備隊へ6隻の巡視船を建造することになった。

私が知る限り、1989年にはフィリピンが主導して、ベトナムの民間航空会社が設立された覚えがある。勿論当時はフィリピンはアジアの中では、技術的には最高位にあり、製鉄所から自動車メーカーまで有していた。あの地位を今までも維持出来ていられれば、こんな事では無かったと思う、ピナツボ後、当時オロンガポ市町で現在上院議員のゴードン氏が、民族主義もあり、スービックのアメリカ軍を追い出したが、今になれば、スービックは中国・韓国に牛耳られている。まあそれはアンヘレス市のクラークも同じで、アンヘレス市長が初代CDC(クラーク開発庁)の長官に成って、開発が進んだが、結局、韓国人に乗っ取られた様になった。その横のクラークの拡大地域は地元華僑グループであるボニファシオ・グロール・シチィ―と同じグループが開発し始めている。

しかし、遣る事は同じでコールセンターと消費社会の構築で、製造業主導の開発では無い。即ち、多くの従業員を雇用し、技術発展を望む産業より、賭博型産業で、前にも何回も言っているようにコールセンターはAIに依って無く成る産業で、将来の発展は無い。目先の利益を求め、国家体制のマスタープランを持たないフィリピンと、中国からの製造業撤退で漁夫の利を得たベトナムの明暗がはっきり出たようだ。昔はフィリピンがアジアでトップだったが、今はビリに成ってしまった。ODAですら使える幅が減っている国なのである。

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