ビジネスのスタート

私はサラリーマン経験が20歳から今66歳まで無い。そのうち32年をフィリピンで生計を立て暮らしている。19歳で家庭教師のアルバイトで稼いだ5万円を投資して始めた商売。当時5円のハガキにガリ版印刷で2000枚 1万円をダイレクトメール代とし、赤坂のニュージャパンの小さな宴会場を時間で借りて当時2万円、お茶とケーキ代で1万円で1万円を予備費として、ダイレクトメールにはこのはがきをお持ちになった方にはニュージャパンでお茶とケーキをお出ししますと書き、商品も陳列しているのでご覧くださいと書いて出した。商品は当時親父の遣っていたアクセサリー、真珠を借りて、後は友達の処から服飾その他を借りて、売れたら10%私にくれとの約束で始めた。今なら誰も来ないが当時はダイレクトメールというものがない時代。その上ホテル催事もない時代。なんと2000枚で500名も来てくれた。1日で一千万円の売り上げ。

まあこれが商売に手を染めた第一歩だった。その後2年間は品を変え、場所を変え、遣ったが、美味しそうな仕事には多くの競合が現れ、ダイレクトメールで来てくれる人も少くなってきたので、即辞めて、今度は安く豪華な香港旅行に変えて、エアポートには8名乗りの豪華リムジンベンツ2台を用意し、ペニンシュラに泊まり、最高の中華料理を楽しみながらのお買い物ツアーに移行していった。こうした商売はP/L 損益計算書だけでできる商売。商品も店舗も持たない、御用聞き原点商売のだが、人間ここでやめときゃ良いが、欲が出てもっと儲かると思い在庫を持ち、店舗を持ち、売掛、買掛も出来、借金も増える。その上社員も増えて、もっと大きな見えない借金、社員の退職金や社会保証費用が圧し掛かってくる。そうしてP/L損益計算書だけでは無く、B/S 貸借対照表が必要となっていく。私もシャープや東芝では無いが大きな波乱も味わい、私は会社譲渡という手法で波乱を乗り越えてきた。

今 私の歳でこの波乱を起こす要因である。B/S貸借対照表の対象になるものは出来るだけ避けたい。ゆえに誰でも儲かる商売でも、自分がやること無く。他人に自分は助けるだけで、その人に遣ってもらう。

これを深く考えると、譲渡という意味の先行移管で、その人が私の言うなりで儲かれば、何れは、その人が私を助けてくれる というバランスシート上の計算である。

munetomo.club 棟朝淳州

人生教わり教える。そして未来を創造する

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